ファクトリエの夢に少しでも力に。10年間、中国で技術指導した男の本音

ファクトリエの夢に少しでも力に。10年間、中国で技術指導した男の本音
ファクトリエの夢に少しでも力に。10年間、中国で技術指導した男の本音
ファクトリエ紹介
2020.10.05
小林 正樹
こんにちは。お笑い担当の小林です。

今日は、ファクトリエメンバーの素顔に迫る企画「メンバー紹介」をお届けします。

インタビューしたのは2020年10月23日で67歳になる、ファクトリエの品質管理担当・堀井 経昭(ほりい・つねあき)さん。66歳の現在でも、アパレル業界に精通したその厳しい目でファクトリエのアイテムの品質をチェックしていただいているある意味“番人”!
いつも優しくて、みんなから愛される存在の堀井さんがファクトリエに入社したのは2015年。一体どんな経緯でファクトリエに関わり始めることになったのか、から聞いていきたいと思います!
大手アパレルをやめてベンチャーに。
堀井さんのルーツは実家の家業
堀井さんは前職では大手アパレルブランドのパタンナーとして勤務されていたんですよね?(パタンナーとは、デザイナーが作成したデザインをもとに、パターン(型紙)におこす職のこと)
そうですそうです。もともと実家が肌着や靴下、ベビー服を売る用品店をやっていたので、アパレルには高校生の頃から興味があったんですよね。
堀井さんは見た瞬間にオシャレでファッションが好きというのがわかりますが、幼少期からずっと続いてるものなのですね!
僕の祖父は植木職人や大工さんの作業着を作る職人で、その話をずっと聞いて育ったので頭の片隅にあったんでしょうね。
パタンナーになるのもお父様の血ですね。
大学を卒業して、本当はデザイナーになりたかったんだけど(笑)、絵が描けないからパターンメーカーになろうって思いました。
“パタンナー”は和製英語だと聞いたことがありますが、本当はなんて言うのが正解なんですか?
パターンメーカーですね。仕事としては、デザイナーと二人三脚で洋服を作る。
何度も試行を繰り返し、たくさん話し合う。だから、デザイナーが“絵描き”なら、パターンメーカーは“彫刻家”ですね。


パターンメーカー時代を思い出しながら懐かしそうに語る堀井さん。
こうしてパターンメーカーとしてのアパレル人生が始まった堀井さんですが、62歳の時に“ファクトリエ”に入って第2のアパレル人生を始めることになります。
中国のアパレル工場を技術指導。
そこでわかった日本の高い技術力と信頼
大手アパレルに勤務して安定もしていたと思いますが、どうして62歳での転職を決意しようと思ったんですか?
50歳から10年間、大手アパレルブランドで勤務していたんだけど、海外工場を指導するため、2週間ごとに中国へ単身赴任していたんですよね。
2週間ごとに!(まさか中国もペラペラなのか??一度も聞いたことないけど・・・)
日本の技術を習得してどんどん成長していく中国工場の技術を目の当たりにしましたね。あっという間にアメリカやヨーロッパの有名ブランドまでも利用するようになってました。
1990年は日本に流通している洋服のうち、日本製は50%でしたが、今や3%を切ってる状況ですもんね。30年で一気に生産拠点が移りましたよね。
▲工場文化祭での一コマ。楽しそうにお話するのは革小物工房「ヒロアン」の長谷川さん。
この状況はある意味仕方がなくて、こうせざるを得ないんだろうね。だって中国には原料や技術もあるから全てが中国で完成するんだから。でもね、小林さん・・・・
でも・・・
この技術はやはり日本が伝えたものなんだよね。そして日本人の目もひとつのクオリティの基準にもなってる。
どういうことですか?
海外のブランドが中国の工場に依頼する場合、“日本で売られる製品を生産しているか”が一つの基準になってるんだよ。
まさに日本ブランドっていうやつですね。
日本のブランドは品質への基準がとても厳しいから、その基準をクリアできる工場は腕がいいと判断されたり、そもそも日本から技術指導に来ていることが多いから、技術が高いってわかるんだよね。
なるほど~。中国の工場の面倒を長年見てきた堀井さんだからこそ、海外からみる日本の技術の素晴らしさを実感していたんですね。
そうですね。
堀井さん、そろそろファクトリエに入った理由を教えてください(笑)。中国工場での勤務経験が何か関係あるんですよね?
はい(笑)、あります。中国工場を指導して、その後、ベトナムの工場についても指導の声がかかったんですよね。その時に「中国の工場指導に費やした10年間をもう一度ベトナムで行うのはさすがに厳しい」と思いまして。そこで、会社を辞めることを決意しました。そしてその決断の後、ファクトリエをたまたま知ったんです。
心を揺さぶられたファクトリエとの偶然の出会い。
心底共感した“メイドインジャパン精神”
▲工場文化祭にて。イベント前に少し気を抜く堀井さん(笑)。

ファクトリエを知ったのはどこでですか?
たまたま参加していた「弥生会(やよいかい)」。この会は、あらゆる大手アパレル企業の主にパターンメーカーが一同に介し、知識やスキルを磨くために情報を交換する場所なんです。
ほお。そこでファクトリエを。
そう。特別ゲスト登壇者として、代表の山田さんが来てね。熱弁を振るう山田さんの姿を見て、自分でも驚くくらいに心を強く突き動かされたんですよ。
当時30代前半だった山田さんが、大ベテランの堀井さんの心を揺さぶったとは驚きです。堀井さんから学びや刺激をもらうことのほうが多そうですから。
いやそれがね。メイドインジャパンは風前の灯火だったんです。アパレル関係にいたからこそ、山田さんが熱く語っていた『メイドインジャパンを世界に』っていうのがどれほど難しいことかわかる。
ですよね。
ただ、“難しいからこそ挑戦するんだ”というその想いの真っ直ぐさを感じたんです。その真っすぐさには心を打たれましたね。その時、その壁を一生懸命に登ろうとするのはおもしろいと思ったんです。
“男のロマンに年齢は関係ない”とどこかで聞いたことはありますが、長い仕事生活が一区切りしたのにもかかわらず、また新しい世界への挑戦。そのパワーがすごいですね。
日本でも有名なブランドはあるけど、それはデザイナーがすごいから。メイドインジャパンだからじゃないんだよね。だからこそ“メイドインジャパン”を世界に持っていく!っていうストレートなメッセージには素直に心を打たれちゃいましたね。
アパレル業界に長くいた堀井さんだからこそわかる「メイドインジャパンの難しさ」と「日本のアパレル産業にとって大いに意味のあるファクトリエの新たな挑戦」ということですね。
熱い想いが私にもこみ上げてきて、自分も何かしたいという気持ちになって、山田さんに面談をお願いしました。そしてそこからそのままファクトリエに入社することに。
失ってはいけないものが無くなるのは見ていられない。
自分の力を少しでもファクトリエに
入社した際の年齢はなんと62歳ですもんね。この歳でのベンチャー企業への転職というのはとても大きな決断だったと思います。
何かやりたい、という想いではなかったですね。ただ、自分から今までしてきたことをファクトリエの発展に力を貸したい。貸すっていうのは大げさだけど、バックアップできるんじゃないかなって。
何でもいいから少しでも力になりたいということですね。
やっぱり日本に育ててもらったから、日本が本当に失ってはいけないものが無くなっていくのを見てるのは嫌だった。僕が生きているうちに再生するかわからないけど、やれることはあるんじゃないかなってね。
かっこいいです。でも、うちのメンバーはみんなそういう想いで働いてる人がほとんどだと思います。ベースが一緒だから年の差があっても会話がしっかりつながりますよね。
そうですね。学生インターンとは40歳以上も年が違いますからね(笑)。
挑戦することが自分のためではなく、周りのため。恩返しするため。施されたら施し返すですね。(半沢直樹で言うところの)。私も大切にしていきます。
年齢や立場関係なく
同じ目線で話そうとする努力が大事
スタッフ紹介企画では、「座右の銘」も聞いていこうと思ってるんですが、堀井さんは何ですか?
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」ですね。
その心は!?
この言葉は小学生くらいのときに、祖母から教えてもらった言葉で、ずっと頭の中にありました。“立派な大人ほどちゃんと礼を尽くして頭を下げることができる人になりなさい。成功して偉そうにしてる大人になっちゃいけない”ってよく言われていましたね。
この言葉を強く意識した経験はありますか?
言葉の真意が分かったのは社会人になってからですね。前職は大手だったから、取引を提案するときは上からになりがちだった。だけどそういうときはうまくいかないんだよね。立場関係なく、お願いするときは誠意をもって謙虚にならなくちゃいけないなって。
仕事や私生活でもふと横柄になってしまう瞬間って誰しもありますよね。
自分はそんな態度とったつもりなくても、周りからそう思われるかもしれない。だからこそ気をつけないと。そんな風に思われるなんて悲しいからですからね。実は休みの土日に小学生の軟式野球クラブチームのコーチもしてるんですが、ここでもこの座右の銘を大事にしています。
小学生の子どもたちに対しても、っていうことですね。
そうそう。怒るときは必ずしゃがんで目線を合わせる。子どもが委縮してしまうから。そして怒り方も、“今こうなったのは、ここがいけなかったから。だから次はこうやってみよう”と、目を見てしっかり話しかけるのが大切。そうすると全然子どもの反応も違いますね。
目線を相手としっかり合わせること、ですね。
絶対に横柄な態度はとってはいけない。そこに年齢は関係ない。一人の人間として本気で接していく。それは常に心がけています。
堀井さんに人望があるのは、常に謙虚で、思いやりに溢れているからなんですね。
堀井さんの“語れる逸品”
偶然出会ったアンティークのロレックス
ファクトリエのMISSIONは「語れるもので日々を豊かに」ですが、堀井さんの中で、語れるものってありますか?
出張先のロンドンでたまたま訪れたアンティークショップで目に付いた腕時計がそれですね。この腕時計はロレックスのボーイズサイズ。大きさがちょうど良かったんです。
買い取り専門店に出したらとても高値が付きそうですね!!
こら(笑)。買ったのが20年前だから、これが作られたのはもっと前だと思うのでレアかもしれないけれど(笑)。でも、それだけ古いのに、一度オーバーホールしただけで、部品も変えてない。やはり良いものは長く使えることがよく分かりましたね。
何がお気に入りポイントなんですか?
ロレックスっぽくないところ。ギラギラしてなくて、大きさもコンパクト。レディースサイズよりは大きくて可愛いなって。
可愛いのも好きなんですね。意外ですね(笑)
毎日のように付けてるんですか?
普段(野球のコーチをしている時以外)は常に身に付けますね。やっぱり安心感があるので。今の人たちはあまり時計しないけど、僕の時は社会人になるときは必ずしてたので、付けてないと違和感がある。
そういう男性は結構多いと思います!
高校の時も電車に乗るときは時間が分からないから、時計は必需品だった。だから別に特別なものというよりは、当たり前の存在かな。
身近な存在だからこそ、改めて考えてみると大切な存在ってことですね。なんか奥が深い気がしますね。
▲コットンプロジェクトでタネ植えのワンシーン。右が私小林です(笑)。
ちなみに堀井さん、もう67歳ですね!なんでそんなに元気なんですか?そしてSNS活用されていたり、ファクトリエの社内コミュニケーションツールやパソコンも使いこなしてるのは何か秘訣があるはず!
うーん・・・。20年以上、週に2回のランニングを出勤前にしてることがいいのかもしれませんね。これが健康の維持に役立っているかはわからないけどね。
ランニング・・・ですか・・・しかも出勤前に・・・。
あと、「疲れた」とか「大変だ」とかは言わない。仕事もコーチも楽しいよ。楽しいからやるんだよ。
私も言わないように努力します(笑)
ははは(笑)。言いかけたらぐっとこらえてね。
堀井さん今日はありがとうございました!
生きていく上で大事なことを改めて考えさせられる貴重なインタビューになったと思います!

堀井さんは普段店頭にはいませんが、お客様のお手元に商品が綺麗な状態で届くのは、堀井さんの管理があるからこそ。
まだまだおもしろいお話があるので、イベントなどで見かけた際はぜひお話してみてくださいね。
この記事にいいね
小林 正樹
お笑い担当としてファクトリエに笑いを届けています。メルマガや商品ページの文章作り、熊本本店の店長でもあります!熊本にいるからこそ九州の工場さんに会いに行って直接お話を聞いたり、現場からしか伝えられない熱さをお届けしています!