山田敏夫 (ファクトリエ代表)
1982年生まれ。熊本県熊本市出身。創業100年の老舗婦人服店の息子として育つ。
大学在学中、フランスへ留学しグッチ・パリ店で勤務し、一流のものづくり、商品へのこだわり・プロ意識を学ぶ。2012年1月、工場直結ジャパンブランド「ファクトリエ」を展開するライフスタイルアクセント株式会社を設立。年間訪れるものづくりの現場は、100を超える。
カリモク加藤さんに聞く、人と自然の理想的な共生関係とは?
1966年8月30日生まれ(58歳)。カリモク家具株式会社取締役副社長。京都大学農学部卒業ジョージワシントン大学にてMBA取得。1992年4月三菱商事株式会社入社。1994年1月刈谷木材工業株式会社入社。2004年5月知多カリモク株式会社取締役社長就任(現職)。2004年5月東浦カリモク株式会社取締役社長就任(現職)。2010年4月カリモク家具株式会社取締役副社長就任(現職)。購買・調達管理だけでなく、製造やデザイン開発まで管掌し、「Karimoku New Standard」(カリモクニュースタンダード)、「Karimoku Case」(カリモクケース)、「MAS」(マス)、の各コレクションを統括。特に購買・資材調達の分野においては、社会と暮らしをより豊かで幸せなものとするべく、サスティナビリティに配慮した木材調達や、多様性に富む日本の自然条件が育んだ個性豊かな国内未利用材の積極的な活用に取り組み続けている。また、「Karimoku Commons Tokyo」、「Karimoku Commons Kyoto」、「KARIMOKU RESEARCH CENTER」の開設も指揮し、インテリア部門だけに捉われず、アートやファッションなどとの協業を企画し、カリモク家具全体のリブランディングに取り組んでいる。
見延さんに聞く、フェンシング”道”
高校時代に父親の勧めでフェンシングを始める。当初はフルーレ、エペを両立していたが、大学入学後エペに専念。主要学生大会での優勝に加え、広州アジア大会団体戦で銅メダルを獲得。NEXUS入社後は、五輪出場を目指し、イタリアへ単身武者修行も実行。力をつけ、日本男子エペ個人では初のワールドカップ優勝を成し遂げる。2016年のリオ五輪では悲願の個人戦出場、6位入賞を果たした。その後も輝かしい記録を打ち立て、2018-19シーズンは、ワールドカップ1勝、グランプリで2勝。世界ランキング1位となり、日本フェンシング界史上初の年間王者に輝き、2020年にはJOCシンボルアスリートにも選出された。日本のトップフェンサーとして東京 2020オリンピックで団体金メダル獲得。22年7月の世界選手権カイロ大会では日本人初となる個人戦準優勝、団体3位と健闘した。パリ2024オリンピックでの団体連覇、悲願の個人金メダルを目指している。
太宰府天満宮の西高辻󠄀さんに聞く、アートとまちづくりについて
昭和55(1980)年太宰府市生まれ。御祭神菅原道真公から数えて40代目の子孫に当たる。東京大学文学部(美術史学)卒業後、國學院大學大学院にて修士(神道学)号並びに神職資格を取得し、太宰府天満宮に奉職。平成20(2008)年ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員として2年間留学。平成31(2019)年第40代宮司を拝命し、神職としての祭祀奉仕に加えて、宝物殿館長として美術展企画やまちづくりに積極的に携わる。平成18(2006)年に立ち上げた太宰府天満宮アートプログラムは、国内外の様々なアーティストを招聘し現代文化の多様性を呈示すると同時に、神社として作品の制作と展示・収蔵をサポートするというユニークな試みとして、これまで10回開催し好評を博している。『大学的福岡・太宰府ガイド―こだわりの歩き方』編著。
近藤 麻理恵さんに聞く、ときめくモノとの生活とは?
5歳から『ESSE』などの主婦雑誌を愛読。中学生のときに本格的に片づけの研究を始め、大学在学中の19歳の時、コンサルティング業務を開始、独自の片づけ法「こんまり®メソッド」を編み出す。2010年に出版した初めての著書『人生がときめく片づけの魔法』が世界40カ国以上で翻訳出版され、シリーズ累計1200万部を超える世界的大ベストセラーに。「KONDO」という言葉がアメリカでは「片づける」という意味として使われるようになるなど、社会現象となる。2015年、米『TIME』誌で「世界でもっとも影響力のある100人」に選出され、活躍の場を海外に広げている。2019年よりNetflixにてスタートした冠番組『KonMari—人生がときめく片づけの魔法—』が190カ国で放映されている。 現在は、こんまり®メソッドを使った片づけレッスンを提供する「こんまり®流片づけコンサルタント」を育成し、日本を含め世界40カ国以上で約500名が活躍中。
中川政七さんに聞く、”全てビジョンからはじまる”という考え方
1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年に株式会社中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任、2018年より会長を務める。業界初のSPA業態を構築し、「中川政七商店」「遊 中川」「日本市」など工芸をベースにした雑貨の自社ブランドを確立・全国に約60の直営店を展開している。「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、2009年より業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見焼の陶磁器メーカー、有限会社マルヒロでは新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。現在は奈良県のGDPを上げるプロジェクト「N.PARK PROJECT」を提唱し、数多くの魅力あるコンテンツ創出を目指す。2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持している企業を表彰する「ポーター賞」を受賞。「カンブリア宮殿」「SWITCH」などテレビ出演のほか、経営者・デザイナー向けのセミナーや講演歴も多数。著書に『小さな会社の生きる道。』(CCCメディアハウス)、『経営とデザインの幸せな関係』(日経BP 社)、『日本の工芸を元気にする!』(東洋経済新報社)
行定勲さんに聞く、映画と人の関係
1968年生まれ、熊本県出身。2000年『ひまわり』が、第5回釜山国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞し、演出力のある新鋭として期待を集め、01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』(05)、『春の雪』(05)、『クローズド・ノート』(07)、『今度は愛妻家』(10)、『パレード』(10/第60回ベルリン国際映画祭パノラマ部門・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』(14) 、日中合同作品『真夜中の五分前』(14)、『ピンクとグレー』(16)、故郷・熊本を舞台に撮影した『うつくしいひと』(16)、日活ロマンポルノリブート『ジムノペディに乱れる』(16)、『うつくしいひと サバ?』(17)、『ナラタージュ』(17)、『リバーズ・エッジ』(18/第68回ベルリン国際映画祭パノラマ部門・国際批評家連盟賞受賞)などがある。2020年には『窮鼠はチーズの夢を見る』『劇場』などの話題作の公開を予定している。また、毎年4月に自身がディレクターを務める《くまもと復興映画祭》を開催するなど熊本の復興にも精力的に関わる。『うつくしいひと』『うつくしいひと サバ?』Blu-ray&DVDが発売中で、その売上げの一部は、チャリティーとして熊本復興のために寄付される。さらに映画だけでなく舞台「趣味の部屋」(13,15)、「ブエノスアイレス午前零時」(14)、「タンゴ・冬の終わりに」(15)などの舞台演出も手掛け、その功績が認められ16年、毎日芸術賞 演劇部門寄託賞の第18回千田是也賞を受賞した。
井手直行さんに聞く、我が道を行くブランド作り
1967生まれ。福岡県出身。国立久留米高専電気工学科卒業。大手電気機器メーカーにエンジニアとして入社。広告代理店などを経て、97年ヤッホーブルーイング創業時に営業担当として入社。2004年楽天市場担当としてネット業務を推進。看板ビール『よなよなエール』を武器に業績をⅤ字回復させた。全国200社以上あるクラフトビールメーカーの中でシェアトップ。12年連続増収増益。08年より現職。著書に、『ぷしゅ よなよなエールがお世話になります』(東洋経済新報社)
新井和宏さんに聞く、これからの社会に必要とされる“きれいごと”とは
1968年生まれ。東京理科大学卒。1992年住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)入社、2000年バークレイズ・グローバル・インベスターズ(現・ブラックロック・ジャパン)入社。公的年金などを中心に、多岐にわたる運用業務に従事。2007~2008年、大病とリーマン・ショックをきっかけに、それまで信奉してきた金融工学、数式に則った投資、金融市場のあり方に疑問を持つようになる。2008年11月、鎌倉投信株式会社を創業。2010年3月より運用を開始した投資信託「結い2101」の運用責任者として活躍(個人投資家約1万9千人、純資産総額約360億円(2018年5月時点))。2018年9月13日株式会社eumoを設立。2015年5月11日放送 NHK 「プロフェッショナル~仕事の流儀」に出演。著書は、『投資は「きれいごと」で成功する』(ダイヤモンド社)、『持続可能な資本主義』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『幸せな人は「お金」と「働く」を知っている』(イーストプレス)などがある。
遠山正道さんに聞く、アート×ビジネスの美意識に基づく、21世紀型経営
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年株式会社スマイルズを設立、代表取締役社長に就任。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、コンテンポラリーフード&リカー「PAVILION」、海苔弁専門店「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り」を展開。「生活価値の拡充」を企業理念に掲げ、既成概念や業界の枠にとらわれず、現代の新しい生活の在り方を提案している。近著に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるというビジネスモデル- PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)がある。
高濱正伸さんに聞く、一人でメシが食える大人になるために必要なこと
1959年熊本県人吉市生まれ。東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。「情熱大陸」「カンブリア宮殿」「ソロモン流」など、数多くのメディアに出演。1993年、「この国は自立できない大人を量産している」という問題意識から、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立。1995年には、小学4年生から中学3年生を対象とした進学塾「スクールFC」を設立。チラシなし、口コミだけで、母親たちが場所探しから会員集めまでしてくれる形で広がり、当初20名だった会員数は、23年目で20,000人を超す。著書に『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『小3までに育てたい算数脳』『わが子を「メシが食える大人」に育てる』『算数脳パズルなぞぺー』などがある。
稲葉俊郎さんに聞く、いのち中心主義の未来社会
1979年熊本生まれ。医師、医学博士。東京大学医学部附属病院 循環器内科 助教を経て、2022年より軽井沢町国民健康保険軽井沢病院院長。信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を併任。2011年の東日本大震災をきっかけに、医療の創発のために様々な分野を横断した活動と対話を始める。観世流(梅若派)で能楽の稽古にも励み、伝統医学と西洋医学の統合、未来の医療の創造に励む。身心変容技法研究会 研究分担者(上智大学グリーフケア研究所)。
新井良亮さんに聞く、新しい小売の形とは
日本国有鉄道に入社。電車運転士や新宿駅、渋谷駅で勤務した後、国鉄とJRの人事関係業務に約20年携わる。1987年、国鉄分割民営化によりJR東日本に入社。東京地域本社の事業部長を皮切りにエキナカやウォータービジネスなどさまざまな新規事業を立ち上げる。その後、取締役や常務取締役・事業創造本部副本部長を経たのち、2009年代表取締役副社長・事業創造本部長に就任。2011年(株)ルミネ 代表取締役社長を兼務。2012年JR東日本副社長を退任。2017年(株)ルミネ 取締役会長、2018年 同社 取締役相談役、2019年同社相談役に就任。2022年同社顧問に就任。
吉岡秀人さんに聞く、世の中の仕組みが分かるスーパーボール論
ジャパンハート代表。医師。1965年、大阪府生まれ。大分大学医学部卒業後、大阪、神奈川の救急病院などで勤務の後、1995年から1997年までミャンマーで活動。その後、岡山病院小児外科、川崎医科大学小児外科講師などを経て、2003年から再びミャンマーで医療活動を再開。2004年、国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。現在もミャンマー・カンボジア・ラオスなどの活動地で年間約2000件の手術を行い、幼い命を救い続け、その数は1万人を超えている。その取り組みはメディアにも注目され、テレビ「情熱大陸」に出演した際には、大反響を得た。著書には『命を燃やせ─いま、世界はあなたの勇気を待っている』『飛べない鳥たちへ─無償無給の国際医療ボランティア「ジャパンハート」の挑戦』『死にゆく子どもを救え』『君が一歩を踏み出す50のコトバ』『救う力』(廣済堂出版)がある。
栗城史多さんに聞く、否定に左右されない生き方
1982年北海道生まれ。登山家。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登る。その後、8000m峰4座を単独・無酸素登頂。エベレストには登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に6度挑戦。見えない山を登る全ての人達と、冒険を共有するインターネット生中継登山を行う。2012年秋のエベレスト西稜で両手・両足・鼻が凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にはブロードピーク8,047mに単独・無酸素で登頂し、復帰を果たした。国内では、企業に向けた人材育成の研修など年間80本の講演や夢教育を行っている。2018年5月21日、エベレストで下山中に滑落して帰らぬ人となる。享年35歳。
寺尾玄さんに聞く、世の中を熱狂させるアイデア
1973年生まれ。17歳で高校を中退、スペイン、イタリア、モロッコなど、地中海沿岸各国を約1年かけて放浪。帰国後、約10年間、音楽活動に携わる。2001年にバンド解散後、ものづくりの道を志し、独学と工場への飛び込みにより、設計や製造を習得。03年有限会社バルミューダデザイン設立(11年バルミューダ株式会社へ社名変更)。10年に発表した扇風機「GreenFan」で一躍、家電業界の注目を集めた。15年に発表した「BALMUDA The Toaster」が15年度グッドデザイン賞金賞(経済産業大臣賞)を受賞。続けて「BALMUDA The Pot」「BALMUDA The Gohan」を発売。『著書「行こう、どこにもなかった方法で」(新潮社)』
輿水精一さんに聞く、世界一のウイスキーが生まれた舞台裏の全貌
1949年(昭和24年)生まれ。1973年サントリー株式会社(現サントリーホールディングス株式会社)に入社。研究センターや貯蔵部門などを経て、1999年にチーフブレンダーに就任、2014年から名誉チーフブレンダーとなり、現在に至る。「響21年」をはじめ、手がけたウイスキーは次々と世界的な酒類コンペティションで最高賞を受賞。
辻井隆行さんに聞く、パタゴニアと地球環境への取り組み
1968年生まれ。早稲田大学大学院社会学科学研究科(地球社会論)修士課程修了。1999年、パートタイムスタッフとしてパタゴニア東京・渋谷ストアに勤務。鎌倉ストア、マーケティング部門、卸売り部門を経て、2009年から2019年まで日本支社長。2019年秋、日本支社長を退任。その後、自然と親しむ生活を送りながら、社会活動家/ソーシャルビジネスコンサルタントとして、企業やNPOのビジョン・戦略策定を手伝う。現在はJリーグで執行役員として、サステナビリティ部を担当。
浅田真央さんに聞く、フィギュア“以外”のこと
2002年全日本選手権で、小学6年生にして女子世界初の3回転3連続ジャンプを決めて世界中の注目を集める。世界選手権優勝3回、四大陸選手権優勝3回、GPファイナル優勝4回、全日本選手権優勝6回。2010年バンクーバー五輪で、銀メダルを獲得。2014年ソチ五輪では、フリーで世界中が感動する演技を披露。同年3月の世界選手権では、日本人最多の3度目の優勝を飾る。2017年に競技生活引退後、日本全国を巡り感謝を届けるアイスショー「浅田真央サンクスツアー」開催。3年間で、のべ50会場・202回にわたる公演を行った。2022年から自身がプロデュース・出演する新たなアイスショー「BEYOND」を全国で開催。
竹腰名生さんに聞く、新しい定番づくり
ニューヨークのPARSONS SCHOOL OF DESIGNを卒業後、東京のISSEI MIYAKE経て渡仏。GUCCI、CALVIN KLEINのデザイナー、DONNA KARAN、JIL SANDERのチーフデザイナーを歴任。2004年FALLより自身のコレクションをイタリーで発表。2016年AWより"NAO TAKEKOSHI MADE IN JAPAN PROJECT"をミラノで開始。
遠藤恵司さんに聞く、日本のブランディング
東京都生まれ。1975年に大学を卒業後、日本航空(JAL)に入社。ニューヨーク子会社社長を務めた後、1990年に幼馴染の設楽洋が経営するセレクトショップBEAMSへ入る。以来、設楽とともに海外のファッションやカルチャーを日本へ紹介し続けている。
太田伸之さんに聞く、世界と戦える日本企業の育て方
1953年三重県生まれ。学生時代より独学でマーケティングを学び、大学卒業後アメリカへ渡って日米ファッションデザイナーと企業の仲介役を務める。帰国して東京ファッションデザイナー協議会を設立。その後イッセイミヤケ代表取締役社長、百貨店・松屋の常務執行役員など歴任。2013年に設立されたクールジャパン機構(株式会社海外需要開拓支援機構)の初代社長に就任し、世界とビジネスをする日本企業の支援を行っていた。
大草直子さんに聞く、おしゃれの哲学
1972 年生まれ 東京都出身。大学卒業後、現・ハースト婦人画報社へ入社。雑誌の編集に携わった後、独立しファッション誌、新聞、カタログを中心にスタイリングをこなすかたわら、イベント出演や執筆業にも精力的に取り組む。WEBメディア「AMARC」を主宰。AMARC magazineの編集長兼発行人。インスタグラム@naokookusaも人気。
兼松孝次さんに聞く、日本のまち・ものづくり
1948年東京都生まれ。慶応義塾大学商学部、米国ハノーバーカレッジ卒業。日商岩井株式会社を経て、株式会社かねまつに入社。2005年代表取締役社長となり現在に至る。一般社団法人銀座通連合会理事、銀座四丁目共和会会長、一般社団法人日本専門店協会副会長。
齋藤峰明さんに聞く、里山文化と感性の時代
1952年静岡県生まれ。高校卒業後渡仏し、パリ第一(ソルボンヌ)大学芸術学部へ。在学中から三越トラベルで働き始め、後に(株)三越パリ駐在所長に。40歳でエルメスに入社。エルメスジャポン社長としてメゾンエルメスの設立などに尽力。2008年、エルメス本社副社長となり現在に至る。エルメス財団理事、エルメスジャポン株式会社会長、ライカカメラジャパン株式会社会長、パリ商工会議所日仏経済交流委員会理事。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。
三木孝浩さんに聞く、全員参加の映画づくり
1974 年8 月29 日 徳島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。いきものがかり、FUNKY MONKEY BABYS、YUIなど、多数のミュージックビデオ、ライブ映像、TVCM、ショートムービーを手掛け、MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2005/最優秀ビデオ賞やカンヌ国際広告祭2009/メディア部門金賞などを受賞。2010 年、映画『ソラニン』で長編映画監督デビュー。他、監督作に『僕等がいた』『陽だまりの彼女』『ホットロード』『アオハライド』『くちびるに歌を』「青空エール」「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」「先生!、、、好きになってもいいですか?」「坂道のアポロン」
望月律子さんに聞く、自分らしく楽しめるベーシックおしゃれ道
女性誌「Oggi」「Domani」「Marisol」「GOLD」を中心に活動中。ベーシックでいながら洗練されたスタイルが人気。トークイベントやブランドとのコラボアイテムの開発など、活躍の場を広げ続けている。著書『望月律子のBASIC THEORY』
黒川光博さんに聞く、“歴史と挑戦”“思い出とビジョン”
「虎屋」代表取締役社長。1943年、東京都生まれ。虎屋十七代。学習院大学法学部を卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)勤務を経て1969年、虎屋に入社した。1991年より同社代表取締役社長に。全国和菓子協会会長、全日本菓子協会副会長、一般社団法人日本専門店協会会長等を務めた。著書に『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(新潮社)
関谷英里子さんに聞く、言葉の力と丁寧な仕事の基本
大学卒業後、商社、化粧品メーカーを経て、同時通訳サービス会社を起業。アル・ゴア氏など一流講演家での同時通訳実績が多数。NHK ラジオ「入門ビジネス英語」講師を務め、テレビ出演、執筆活動も精力的に行う。2014 年 7 月より米国スタンフォード大学ビジネススクール留学。