-齋藤峰明(エルメス本社副社長)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)


山田:
本日は、齋藤峰明さんにお話を伺います。どうぞ宜しくお願い致します。

齋藤(敬称略):
よろしくお願いします。

山田:
齋藤さんは現在、「日本で最も美しい村」という活動をサポーターとして応援していらっしゃいますが、その理由を教えて頂けますでしょうか。

-日本人のアイデンティティは里山にある

齋藤:
私は海外に住んで27、8年くらいになりますが、海外に住んでいると自分のアイデンティティということで日本をすごく考えます。今の日本社会の問題は、地方が過疎化してるということと同時に、人口が減少している。この前の政府の諮問委員会の発表によると、2030年には里山の半分が消滅すると言われています。私自身、ずっと思っていたのは「日本人のアイデンティティは里山にある」ということ。先の震災で鮮烈に浮かび上がってきたことなのですが、やっぱり日本人のルーツ、精神的なルーツというのは里山の生活にあると思います。地震や台風といった自然災害の多い日本で生き延びたっていうのは、みんなで助けあうという精神があったからこそだと思います。震災後、みなが助け合って、自分が日本人であることを強く感じ、自分たちの幸せというのは自分だけが幸せになるということではなく、みなで幸せになることだということがわかったと思います。

山田:
もともと日本人は自然災害というマイナスを、共生、協調性によって乗り越えてきた、ということですね。

齋藤:
そうです。戦後、日本は高度成長期の時代を経て確かに現実的には物質的に豊かになって、モノがない時代から比べたらある程度豊かになったと。でも近年は、本当の豊かさって何なのか実感できなくなってきたと。やっぱり自分たちの未来は自分たちで取り戻さなくちゃいけないと考えています。そんな最近の流れの中で、日本人に田舎がなくなる、里山がなくなるっていうのは、日本人独特の精神性を支えるものがなくなるということで、これは将来絶対大変なことになると考えました。今東京や大阪などの大都市に住んでいる人で、田舎を持っている人は半分以下なのではないかなと。おそらく皆さんの次の世代の人たちは完全に無くなってしまう可能性があるということを大変危惧しています。震災の後やっぱり世界の人たちが日本人はすごい、日本の社会はすごいと賞賛したわけですよね。それが生まれたルーツが田舎にあると思うので、せっかく世界の人がすごいっていうものを無くしてはいけないと思います。

-ジブリの映画観て、共感しない人はいない

齋藤:
3年くらい前、友達を介して『日本で最も美しい村』があるというのを聞いた時に、あ、これだと。もともと日本で最も美しい村っていうのはフランスであった最も美しい村からヒントを得てできた組織なんですよ。フランスでも1950年代からの高度成長期に地方の過疎化が進みましたが、この組織のお陰で、沢山の地方の美しい村が復興しています。

山田:
フランスでは「最も美しい村」の取り組みが呼び水となって過疎化を防ぐことに繋がった、ということでしょうか。

齋藤:
はい。最も美しい村という組織的に村をまとめたということはすごく大事なことです。美しいところに住みたいとうことは、本来はあたりまえのことであって、それを日本の社会の中では割と犠牲にして社会ができあがってきてしまったわけですね。産業が田舎からどんどん無くなっているので、やっぱり田舎を活性化するために産業を活性化しないといけない、と同時に大義名分っていうのかな、美しい物ってすごくわかりやすくて反対する人はいないわけですよ、絶対的に。ジブリの映画観て、里山に水田が広がっていて、そこに鎮守の森があって、そこで子どもたちが遊んでいるのを見たらみな、豊かだなと思うわけでしょ。田舎の景観をブランド化するというのをやれば産業化できると思って、協力しようと思ってやっています。

-日本とフランス、それぞれの「美しい村」

山田:
日本にいると、資本主義社会の大きな波の中で、齋藤さんのおっしゃるような本質的価値を大切にし続けることは簡単ではないと思えます。フランスは芸術や美術に対して寛容な国だと思っており、日本でもフランスのように文化が定着してブランディングされていけばいいなと思うんですが、文化の根付き方に違いなどはあるのでしょうか。

齋藤:
都会で働くフランス人も元々は田舎から出てきた人たち。構造的に違うのは、ヨーロッパには教会があってその周りに集落があり、それらはすべて石造りなので戦争があって壊されても、石を積み上げて修復できるのでずっと残っている。日本の場合はそれが木でできてるから全く残らない。そういう意味で古いものに触れることができる。実際、田舎から出てきた人はときどき田舎に帰る。そういうサイクルの中で英気を養って、自分のルーツも確認して、パリで仕事している。パリは自分の町だけれども、本当の町は田舎にある、というのがある。逆に日本は今まで古い街並みを全部壊しちゃうっていうふうにしてきちゃったんですよ。ただ、僕自身は悲観しているわけじゃなくて、景色なんてのは昔に戻すことはできないけど、美しい景色は作ることはできるんですよね。さっき言ったようにパリの景色は19世紀の設計。そんな古くないけども、古くてきれいでみんな素晴らしいと思ってるわけじゃないですか。つまり我々が美しいと思っている村は、みんな手が入っているから美しく見えるんですね。例えば、山間に一件家があって、煙がたってるのを見ると、そこに人がいて大自然の中で営みをしてるという風景に人間は感動する。やっぱり人間は社会的な動物なので、美しいところに行きたいけども、美しいっていうのは人間と自然とのハーモニーの中で生まれてくるわけですよ。

山田:
なんかその、フランスで私が学生時代に留学していたところがAix en Provenceという町で、近くには、美しい村があったりして、ああいうなんかこう、教会や石畳の街並、ゴッホが描いたカフェが残っている。どちらかと言うと歴史的建造物が多いと言いますか。自然との調和を美しいとする日本とは、「美しい村の定義」が違うように感じました。

齋藤:
美しい村ってね、日本人にとって絶対大事だって思っているんだけど、同時に日本人だけじゃなくて全世界の人にとって大事なんですよ。日本は季節によって着るものが違う、食べるものが違う、やることが違う、やることってのはお祭りも含めてだけども、種をまき稲をうえ、収穫がみたいな季節がどんどん変わっていく中で生活をしているでしょ、すごく豊かなんですよ。里山を救うことが日本人にとってだけじゃなくて人類にとって大事だな、と。」

山田:
先日、シャネルジャパンのRichard Collasse社長が「日本は最後の文明だ」とおっしゃっていたのを覚えています。それは今おそらく齋藤さんが仰ったことと同じかもしれないですね。

齋藤:
僕の友達のフランス人アーティストは「日本は文明の避難所だ」って言っていました。要するに彼は時々日本に来るべきだって言うわけですよ。行ってみて、自分たちが地球で正しく生きているということを確認すると言うんです。

山田:
避難所っていうのは資本主義によって、とりあえず物をつくろう、とりあえず売ろうとかどんどん個人主義・エゴイスティックになっていくことに対して、日本では、和を重んじて共生しているってことでしょうね。

-必然からブランドは生まれる

山田:
地方の人たちも時代が質に向いてるってのはわかって、ただ手段としてどうしたらいいかわからないのかもしれませんね。今後ブランド化していくとか、彼らが世の中に知られるのってどうすればいいんですかね。

齋藤:
山田さんにしても僕にしても自分にできることは限られているわけで、そのためには成功例を作ることによって、周りの人がああいうこともできるんだという先例になればよいと思います。ブランドができる過程というのは、まず最初に何か生産活動を始めた人がいて、そこになんらかの必然性があったものです。こういうことができるとか、気候がこういうのに適しているとか、こういう技術を持っているとか、何かしら必然性があって、その人はそこで始めるわけですよ。

山田:
ブランドはその必然の環境から生まれてくる、ということですね。

齋藤:
そうです。それで良い物を一生懸命作っていくうちに、周りの家族あるいはそこで働いている人たちがその人の想いを共有し、もっと良いものにするんだっていうのをみなでやっているのが浸透していく。それが企業の中で文化になるんですよ。企業文化っていうのは家族でやってる場合、家風、その価値観。家風は家長あるいは社長が、こういうやり方でこういう風に作るのがいいものだっていうのを毎日言っていると、従業員はこの企業で作りたいものはこういう物なのだってわかってくる。それを追求していくところから良いものが生まれて、企業文化が生まれて、っていう。その人たちが持っているものはすごく特殊なもの。他と違うという、それこそがアイデンティティで、それが最終的にはブランドになるわけですよ。

山田:
私は、日本人がそれを好きで食べたり飲んだりすれば、これだけの人口がいて、これだけの経済大国なので、地域から愛されていれば大丈夫なんじゃないかって考えています。ブランドっていうのは、上っ面(売りやすいから買ってくれるから)ではなく、本当に腹の底からものづくりをやんなくちゃいけないんでしょうね。ブランドを作るなら、うちの地元だったら何だろうという根元から考える。その方が地元が一体となって取り組み、全体として前のめりになれるかもしれないですね。

-売れるものだけ作っていたらいいものはできない

齋藤:
日本のマーケット自体は大きいので、豊かさっていう言葉の名のもとに大量生産する必要はないと思います。日本人はもっと繊細だと思う。田舎へ行って民家へ行くとこの暗さはなんだって思うわけでしょ。暗いところに住んでみるとこれがあかりなんだってわかるわけじゃないですか。日本はもともと繊細な文化持っていたんです。蝋燭でも日の光でも欄間があったり障子があったり、いろんな光の取り方の工夫があってね。日本人の感性ってのは世界有数の素晴らしい文化を作ってきた国なので、間違いないんですよ。それにふさわしいもの、サービスを作っていかなくちゃいけない。それは真似事とかでやっちゃいけないと思うんですよね。日本の戦後の大量生産大量消費っていう文化がアメリカから入ってきて、マーケティングっていう考え方が入ってきて、どうやったら売れるものが作れるかっていうためにマーケティングが使われるんだけども、結局、売れるものだけ作っていたらいいものができないんですよ。売れるものっていうのは量がいっぱい売れるものっていうことで、量がいっぱい売れるっていうのは最大公約数なんですね。

山田:
マーケティングは人種のるつぼ、であるアメリカ特有の考え方ということですね。

齋藤:
物の価値とかサービスの価値っていうのは一人ひとり違うんですよ。例えば、エルメスで毎年違うテーマのもとにいろんなものを作るんですが、手帳で地中海がテーマの時があったのかな。その年は青なら青でいっぱいでたんですよ。普通の売り方だと、今一番売れてるのはこの青ですと。ところがエルメスが5種類も青をつくったのは、地中海っていうテーマなので、ある青はエーゲ海の青、一つはアドリア海の青、一つはコートダジュールの海の青、もう一つがモロッコの、チュニジアの海の青だと。そうやって5種類並んだ時に、突然販売員がエーゲ海と言ったときに、キラっと目が光るわけですよ。そのお客様はエーゲ海に新婚旅行に行っているわけですね。そしたらその5種類の中で、エーゲ海の青っていうのはそのお客様にとっては100倍くらい価値があるわけですよ。家に帰ったら旦那さんに言うでしょうし、もう嬉しくて仕方がないわけです。そういう価値を提供するのが、物を作る側であり、その物の価値をさらに広げていくのはお客様なのです。

山田:
職人が手がける最高の物質的価値があることはもちろん、大切な思い出が詰まっているという右脳的な感覚的価値が大切ということですね。 大量消費の工業の時代から感性・直感の時代へ。お客様の価値を受け止めて繋いで行けるようなブランドを私も作っていきたいと思いました。本日は美しい村のお話から、里山文化、ブランドが生まれる必然性、そして感覚的価値まで、貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。