-吉岡秀人(特定非営利活動法人ジャパンハート代表)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)

吉岡(敬称略):
これまでの人生を振り返るとね、後悔だらけなんですよ。やりたいと思ったことをやってこなかった。貴重な時間を随分と失ってしまったなと後悔しきりです。

山田:
後悔というワードが吉岡さんからの口から出てくるとは意外です。ミャンマーやカンボジアなどでの医療支援はもう20年以上にわたりますよね。自分がやりたいことに対してひたむきに取り組んでこられたという印象があるのですが。

吉岡:
世の中にはさまざまな仕組みがあるということに気付くのが遅かったんです。40代後半でようやく気付いたので、つい最近ですね。今理解している世の中の仕組みを10代で知っていれば、人生はもっと変わっていたと思います。

山田:
世の中の仕組みというのはあまり聞き慣れない言葉です。うまく生きていくための法則のようなものでしょうか?

吉岡:
そうです。摂理とも言えるかもしれません。仕組みを知るヒントは肉体の構造に潜んでいます。例えばジャンプをするとき、深く踏み込んだ分だけ高く跳べますよね。 弓矢もそうです。矢を遠く飛ばしたいなら、その分だけ弓を引き絞らないといけない。

山田:
緊張がかかった分だけ、放たれたときに反対側に振れます。

吉岡:
これは人生にも同じことが言えて、何かで成功を収めるためには、初期段階で強い抵抗があった方がいいんです。その抵抗が極に達しそして逆側に振れたとき、爆発的なエネルギーが生じます。

山田:
会社にも当てはまりますね。成功している企業は往々にして立ち上げ時に強い抵抗があったと思います。新しいビジネスモデルを打ち出している企業は特にそうかもしれません。止めておけとか、失敗するよとか、反対の声も多かったでしょう。

吉岡:
初期段階の抵抗は成功の秘訣です。ただ 、逆側に振れてから生じる抵抗は障壁になります。ジャンプをしているときに足を引っ張られると到達点は下がりますよね。初期の抵抗は起爆剤になりますが、加速してからの抵抗はない方がいい。

山田:
なるほど。確かに肉体の構造と共通していますね。

吉岡:
肉体の現象を通して自分自身に向かい合えばあらゆる仕組みが分かります。悟りに近づくと言っていいかもしれない。 技芸を究めていくこともアプローチの1つで、司馬遼太郎が「悟りの境地に最も近いのは職人だ」と語った逸話もあるんですよ。

自分自身の経験だけでなく、先人の言葉や生き方から世の中の仕組みを見出し、それを基準にして生きていれば幸せになれます。水は高きから低きに流れるのが摂理なのだから、それに沿っていればいいわけです。しかし、人はときとして流れに逆らってしまう。目の前の欲に振りまわされて、流れの向きを見失ってしまうんです。

‐父性が担うべき役割

山田:
人の話を素直に聞くことは容易くはありませんよね。分かってはいるけど、自分のルールを変えらない人も多いと思います。

吉岡:
素直さは年々なくなっていくので、仕組みを知る年齢は早ければ早い方がいいです。若いときの方が感性の感度が高いので。同じ体験や同じ情報であっても、入ってくる量が大人とは全然違います。

山田:
若い頃の方が劇的に成長できるのは、インプットの量が関わっているのですね。

吉岡:
感受性の強さはおそらく10代がピークであり、その時期に感じたものによって未来は大きく変わります。だから若いときは色々な経験を積んだ方がいい。

山田:
若い人たちの背中を押す言葉ですね。

吉岡:
私は自分の子どもたちにも伝えています。すでに伝えるべきことは伝えました。私がいなくても真っ当に生きていけるだろうなと思っています。

山田:
お子さんがおいくつのときに伝えたのですか? 

吉岡:
10歳までは事あるごとに話していました。以降は反抗期に入るので、親の言葉が入りにくくなります。10歳は1つのラインですね。それまでに与えたものが、生きていく強さになる。どんな困難があっても乗り越えられる力を持たせることは、父性が担うべき役割です。

山田:
母性ではなく?

吉岡:
母性はリアルタイムの愛情です。特にものごころがつくまでの幼少期は母性が絶対的に不可欠であり、そばで愛情を注ぐことが、子どもにとって何よりの安全・安心感になります。しかし、社会で生きる強さを得るためには父性というファクターが重要であり、場合によっては威厳や恐怖を感じさせることも必要です。

母性はリアルタイム型の愛情、父性は未来型の愛情と分類してもいいかもしれません。私は「大人になったときにどうすべきか」という未来を見据えて子どもたちに接してきました。ぶつかることもよくありましたよ。

山田:
子どもからすると理解できないことも多いでしょうね。

吉岡:
理解されなくてもいいんですよ。そのときはよく分からなかったとしても脳は覚えていて、しかるべきときが来たら取り出しますから。本人には自覚がなくても無意識にそちらに誘導されていく。だから、父性が与えたものが返ってくるまでには時間がかかります。でも、自分が与えたものはどういう形であれ、必ず返ってくる。これは私の経験から得た仕組みです。

山田:
何かきっかけとなる出来事があったのですか?

吉岡:
25年前にミャンマーに滞在していたとき、1つの村を拠点にしながら色々な場所を巡回診療していたのですが、巡回先の中で特に貧しいエリアがありました。気候が悪くて、唐辛子くらいしか収穫できないような土地で。そこには100人近い子どもたちがいたのですが、ほとんどが栄養失調でした。

山田:
食べ物が摂れないのは厳しいですね。

吉岡:
当時、私は食費として1日1,000円を支給されていました。外国人1人で異国に暮らしてもらうことになるから、これで町のレストランに行ったり、たまにはビールを飲んだりして気晴らししてくれと。でも、100人の子どもたちを見たときに、その1,000円を子どもたちのご飯代に充てようと思いました。それで週2日合計4食の子ども達の食事を提供できたんです。

するとどうなったか。拠点にしていた住居内でも診療も行っていたのですが、私のもとを訪れる現地の人たちが食べ物を持ってくるようになりました。感謝のお礼として食べてくれと。どんどん増えて、瞬く間に台所が食べ物で埋まりました。

山田:
その量だと1人では食べきれないですね。

吉岡:
だから、市場で食べ物を売ることにしました。そうするとお金になりますよね。そのお金で薬を買い、無料で村の人たちに配りました。結果、以前よりも村の人たちが健康になったんですよ。

山田:
最初の1,000円が循環しながら次々と形を変えていったと。

吉岡:
その頃の体験で、今でも鮮明に覚えている瞬間があります。 巡回先で診療を終えて帰路につくとき、必死でご飯を食べているたくさんの子どもたちと毎回遭遇していました。その子たちは、自分たちが今食べているご飯の提供元が私であることを知りません。異国から来たお医者さんくらいの認識です。私はその光景を見るたびに、「ここにきてよかった」と心から思いました。

山田:
言葉を交わしたわけではなく?

吉岡:
何も交わしていません。お礼を言われたり、会釈をされたりもしていない。でも、それでいいんです。感謝をされると、むしろ値打ちが下がるとさえ思う。

山田:
光景そのものが吉岡さんにとって何よりのご褒美だったのですね。

吉岡:
人間には自分の行く末を方向づける瞬間があります。誰かが亡くなったときかもしれないし、部活動の一場面かもしれない。それは苦しいときに自分を奮い立たせる糧になり、その瞬間をどれだけ持てるかが人生のクオリティに直結します。私がミャンマーで手にしたものは評判や評価ではなく、あの瞬間です。

‐時空を超えて跳ね返ってくるスーパーボール

山田:
先ほどの「自分が与えたものは返ってくる」という吉岡さんの言葉に当てはめると、ご飯を与えたことが自分の糧になる瞬間として返ってきたということですか?

吉岡:
そうです。自分が投げたものはスーパーボールみたいな動きをしながら 、やがて自分のもとに返ってくるんですよ。

山田:
親切にした相手から返ってくるとは限らないのですか?

吉岡:
その相手から返ってくることもあるし、別の形で返ってくることもあります。世の中に自分が投じたものは、複雑系の次元で様々な面に当たりながら、時空を超えて跳ね返ってくるんです。今は返ってこなくても、未来のどこかで必ず返ってくる。

山田:
スーパーボールという考え方はユニークですね。しかも三次元で返ってくるわけではない。

吉岡:
海外で医療活動をはじめた当初は本当に必死で、成果を上げるためにとにかく仕事に全力投球でした。妻も働いていましたが、育児や家事は任せっきり。妻からは「なんで私だけに任せるの」と言われ、母親からは「男たるもの女房と子どもを養え」とよく説教されました。その度にのらりくらりと交わしてきたのですが、 最近言われなくなったんです。

山田:
最近なんですね。

吉岡:
そう。50歳にして、ようやく(笑)。と言うのもね、多くの知人たちから「あなたの奥さんやあなたの家族は世の中から本当に考えられないくらいに大切にされている」という言葉をまわりから言われるようになったんです。それを聞いたとき、私が海外で投げていたものが、私では受け切れない量で返ってきたのだと思いました。脈略のない話に思えるかもしれませんが、偶然では起こり得ません。

山田:
吉岡さんからこぼれたものをご家族が受け取っているわけですね。

吉岡:
こんなこともありました。先日、日本政府から電話がかかってきたんです。ミャンマーからアウンサンスーチーさんが来日されるから、晩餐会に招待したいと。でも、その日は中国とラオスの国境の村で手術があり、出席できなかったんですよ。なので、代わりに妻に行ってもらいました。首相主宰の晩餐会で大臣や大企業の社長も招待されている会だったんですけど。

山田:
へぇ! 奥様は喜んでいらっしゃいました?

吉岡:
高そうなワインを飲んでいる画像やら、イキのいい伊勢海老の写真やらがLINEで送られてきました(笑)。僕はラオスの山の上で食べるものがなくて困っていたときに。また、ある時は天皇皇后両陛下に御拝謁する機会も頂き、その時も私ではなく妻が御参内しました。私は気の利いたものを買ってあげられる旦那さんではないし、こういう形で恩返しできるまでに時間がかかってしまったけど、誰にも買えないものをプレゼントできて良かったなって思っています。

‐幸せと不幸を分かつ境界線

山田:
吉岡さんは医療以外の分野でも精力的にさまざまな活動をされています。よく体力が持つなと思うのですが、しんどいときはありますか?

吉岡:
身体的に疲れを感じることはありますが、心は萎えません。私の中で幸せと不幸を分かつ境界線があって、それは時代の向こう側にいるかどうかです。時代の手前にいると、めくるめく移り変わる動きに合わせながら生きないといけない。例えば、私がミャンマーで医療ボランティアを始めた頃はまだ、バブルの余韻が残り、物を持つことが豊かさの象徴でした。

山田:
当時は車を持つことが当たり前でしたが、今はそうではないですよね。

吉岡:
特に車は欲しくないけど、なんとなく買った人も多かったと思います。ずっと時代の動きに合わせて生きていくのはしんどいですよ。でも時代の向こう側にいれば合わせる必要がないんです。自分が動いている後を時代が追いかけてくるから。

山田:
自分が時代に向こう側にいることを疑ったことはありますか?

吉岡:
常に時代の向こう側にいれると信じ、いようと努めてきました。自分の可能性を疑う人にいい未来は訪れません。何かが瓦解するときは内部崩壊が多いんです。自分を疑うことが滅びの原因になる可能性は大いにあります。

山田:
時代の向こう側にいるかどうかを見極めるポイントはどこですか?

吉岡:
世の中の方向性を知ることです。今世界は猛烈な勢いで持続的発展に向かっています。その流れに乗れているかどうかは、今の1つの指標になるでしょうね。その方向と自分の方向が合致していれば、進んでいる道は間違っていない。逆もありきです。ある国の研究機関が、火力発電の際に発生する二酸化炭素削減技術を学会で発表したところ、四方八方から総攻撃を受けました。

山田:
石油や石炭を燃やしている時点で、今の潮流に反しているわけですね。

吉岡:
そうです。人類の明るい未来には正しい向きに流れを作ることが大切であり、その流れに乗っていれば世の中から必要とされるし、加速度的に力を与えられます。

山田:
冒頭でおっしゃられていた人生の仕組みと似ていますね。

吉岡:
正しい方向の川に乗れているのであれば、私は泡でいいと思っています。私が生きた延長線上に、病気の人たちが1人でも多く救われる未来が訪れるなら、プロセスの一部になれるだけで本望なんですよ。ファクトリエも方向は正しいと思います。ファクトリエは日本の過去と未来を同時に救う仕事をしている。正しい方向に進んでいる企業は、きっと100年続くんじゃないかな。

山田:
この間、吉岡さんとお酒を飲んでいるときに嬉しい言葉をかけていただいて。

吉岡:
山田さんは30年後に世の中を引っ張っているかもっていう言葉?

山田:
はい。その後に「お金持ちになっているわけではないよ」と言われてガクッと来たんですけど(笑)。

吉岡:
いいじゃないですか。今はお金儲けがモチベーションになる時代ではないです。私のもとに、大金を払ってまで働きにくる若いドクターやナースが年間600人もいるんですよ。ミャンマーやカンボジアで働くことそのものに価値を見出していて、対価を払うことが損だとは全く思っていない。山田さんも30年後に財を築いているより、まわりから大切にされている方が幸せだと思いません?

山田:
思います。そういう未来を実現したいですね。

吉岡:
ファクトリエはビジネスを通して、日本のものづくりを大切にしたいという思いを世の中に投げているんです。投げ続けていれば、スーパーボールが返ってくるように、自分自身が大切にされる日が必ず訪れますよ。

山田:
これからもメンバー全員で正しい方向に進んでいきたいと思います。今日はありがとうございました