-稲葉俊郎(軽井沢病院 院長)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)

山田:
稲葉さんが能をされていると知ったとき、少し意外に思いました。医師という仕事と、能という伝統芸能があまり結びつかなかったのですが、いつから能を始められたのですか?

稲葉さん(以下敬称略):
東日本大震災の後です。震災が起きた2日後に現地に入ったのですが、それまで一人ひとりの患者さんを頑張って助けてきた経験と、目の前で多くの方たちが亡くなっている事実に折り合いがつかなくなりました。心のどこかで鎮魂を求めていたことが、生者と死者の交わりを題材した能に惹かれた背景にあるのかもしれません。

山田:
それ以前は能に興味を持っていなかったのですか?

稲葉:
実は大学生の頃に強烈に惹かれたことがあったんです。当時は内容をよく理解できなかったのですが、深い体験をしたという記憶はずっと残っていました。能をやろうと思った直接的なきっかけは、ある神社で磐座に向かって歌っている能楽師の女性を見たことです。歌だけで場を作っていて、これはすごいと思いました。

山田:
能の歌は、私たちがイメージするようなメロディーではないですよね。

稲葉:
ポップスとは違います。呪術や祝詞に近いですね。その女性が歌っているときは、まるで空間が歪んでいるように感じました。

‐芸術を通じて、“体の全体性”を取り戻す

山田:
稲葉さんは著書の中でも芸術の必要性について語っていらっしゃいます。芸術はどのような影響を人間に与えるのでしょう?

稲葉:
芸術と医療は密接に関係しています。西洋医学の源流は、古代ギリシアのアスクレピオスという名医で、アスクレピオスの聖地とされているのがエピダウロスという神殿です。紀元前500年の頃、エピダウロスは医療施設として機能しつつ、演劇やオペラ、温泉などもありました。医療も芸術も宗教も全て統合されていたんですよ。

山田:
現代のレクリエーション施設に医療機関が付いたような場所ですね。

稲葉:
寝るだけで体が回復する仮眠所もありました。温泉に入り、優れた芸術に触れ、安らかな気分で眠りにつく。すると夢にアスクレピオスが現れて、結果として治癒につながったと言われています。私が理想としているのは、このような体と心の両方をカバーした医療です。病を治すという病気学に基づく現代医療に対して、アスクレピオス信仰のような伝統医療は健康学であり、病気という概念がありません。

山田:
自然治癒の考え方ですか?

稲葉:
そうです。健康な状態を起点とし、人間が本来持っている治癒力を生きる方向に働きかけてもとに戻すことを健康学と言います。もちろん手当ても必要ですが、それでは“治す”ことはできても、“治る”ことはできません。“治す”と“治る”がバランス良く重なった状態が、健やかに生きるということです。

山田:
芸術は“治る”ための役割の1つを担っているわけですね。とは言え、具体的に何をすればいいのか分からない人たちもいると思うのですが。

稲葉:
何でもいいんですよ。何となく気になっているものは無意識が反応しているということであり、それに対して忠実であればいいのです。インスピレーションは意外と身近なものに関係しているケースが多くて、私も山田さんも熊本出身ですが、熊本市内に能楽堂があるのをご存知でした?

山田:
いえ、今お聞きするまで知りませんでした。

稲葉:
私も能をはじめてから知りました。これも後から知ったのですが、祖父が謡曲をやっていて、能を始めるときに袴をもらったんですよ。無意識が突き動かすものに忠実でいれば、その行動に手繰り寄せられるように符号が集まってきます。難しそうとか、意味がないとか、頭の中で合理化させてはいけません。無意識が反応しているものは、自分の中の全体性が求めているものです。

山田:
全体性というのは?

稲葉:
体の全てを使って生きるということです。人間は60兆個の細胞で構成されていますが、人間の器官で最も重要だと位置付けられている脳でも200億個、脊髄を入れてもせいぜい2000億個弱しかありません。それ以外の59兆7000億個の細胞を含めた全てで体を運営させることが、私として生きるということです。

山田:
体全体を使う機会は年々少なくなっているかもしれません。例えば、PCやスマホを使用しているときは、目と指の細胞しか動かしていないわけですよね。

稲葉:
目を使ってばかりだと、視覚の細胞を中心に体が運営されることになります。そんなときに絵を描いたり音楽を聴いたりすると、体がもとの状態、つまり全体に回帰しようとします。調和が取れた状態に戻るとも言えるかもしれません。書道をするにしても、文字を書くだけではなく、墨を擦るという行為にも意味があります。

山田:
利便性や効率が先行する今の時代だからこそ、芸術の貢献性はより高くなっていくのかもしれませんね。

稲葉:
祭や儀式などが一般的だった時代は、人々はこれらに参加することで普段使わない細胞を動かし、全体性を取り戻していました。しかし今は、昔ながらの伝統や風習が薄れつつあります。そこで代替物の1つになるのが、芸術です。芸術は失われている人間の全体性を取り戻す効果があり、それは私として生きることに直結します。

‐意識と無意識の行き来で、“心の全体性”は保たれる

稲葉:
能を始めてから世阿弥を読むようになったのですが、600年近く前に書かれたにもかかわらず、宝と呼べるような学びがたくさんあります。世阿弥もそうですが、私は長く受け継がれているものに価値や意味があると思っていて。そこで、この世で一番長く受け継がれているものを考えたときに行き着いたのが、いのちです。私はいのちを探求すると時代が変わると思っています。山田さんは、いのちを実感する瞬間ってありますか?

山田:
改めて聞かれると答えるのが難しいです。いのちとはどのような状態のことを指すのですか?

稲葉:
いのちは、生きる力と死ぬ力が折り重なった状態で成立しています。矛盾する2つが拮抗している中で、強烈なエネルギーが充満している。それが、いのちです。

山田:
今も私たちは緊張状態にあるわけですね。ただ、充満するエネルギーを生活の中で意識することはほとんどありません。

稲葉:
それは無意識が関与しているからです。進化の過程で体のシステムはどんどん複雑になり、人間は次第に自分で自分を管理しきれなくなりました。そこで、生きる上での核となる部分を無意識の領域に委ねたわけです。こうしている今も心臓は動いていますが、心臓が動いていることを常に意識しては生きていけませんよね。

山田:
消化や呼吸もそうですね。

稲葉:
生命の歴史の中で要請があったんです。生命を養う部分は無意識に委ねて、安易に立ち入られないようにしようと。でも、例えば鼓動は無意識の中にありますが、ふとした瞬間に意識の中に浮上してくる。仏教もそうですが、古くから東洋では意識と無意識の間にグラデーションがあると考えられてきました。意識と無意識はデジタルに分かれているわけではなく、私たちは表層意識と深層意識の間をゆらゆらと漂いながら生きています。

山田:
睡眠も無意識ですよね?

稲葉:
そうです。人間は寝ないと死にます。私は2歳の頃、人間はどうして寝なければならないのかについて、寝られなくなったくらい悩んだことがあって。

山田:
(笑)

稲葉:
人間は起きているとき、意識が外側に向いています。感覚器が自分から離れ、他人と交わるわけです。人間は群れを作らないと生きていけない弱い生物なので、意識が外向きになる時間は欠かせません。しかし、感覚器が自分自身に向かう時間も同じくらい大切であり、睡眠もそれに該当します。自分の内側にあるのは、法律や道徳が干渉しない生命の世界です。そこに戻ることで、自分から離れてバラバラに崩れたものが統合される。つまり、意識と無意識が行ったり来たりしてつながることが重要なのです。

山田:
睡眠は体力を蓄えるという役割だけではないのですね。

稲葉:
人間はまさに命がけで寝ているわけです。先ほどは体の全体性を話しましたが、こちらは心の全体性です。心のバランスを保つためには意識と無意識のつながりが大事であり、2つが重なる領域を私は“あわい“と呼んでいます。“あわい“とは、着物の襟が左右から折り重なる部分を指す言葉です。“あわい“の役割を担っているのは芸術だけでなく、医療も本当の意味では“あわい“を担うべきだと私は考えています。

山田:
稲葉さんは在宅医療にも取り組まれていて、そこではカウンセリングやセラピーも行っていらっしゃいます。その際も意識と無意識の考え方を取り入れられているのですか?

稲葉:
そうです。その際にはイメージがとても大事で、私は相手の話を聞きながら、意識と無意識を水が循環しているイメージをよく思い浮かべています。水が汚染されているのか、そもそも水源から湧いていないのか、もしくはどこかで堰き止められているのか。カウンセリングとは水を滞りなく全体に流すことだと思っていて、もしどこかで堰き止められているなら、迂回路を設けることが解決につながります。

山田:
抽象的なイメージが、具体的な問題を解決すると。意識と無意識の関係性もそうですが、両極を含めた全体性を捉えることの重要性が分かってきました。

‐芸術も医療も哲学も宗教も、根っこは全て同じ

稲葉:
最近よく耳にするティール組織も生命体の原理をベースにした考え方です。組織は、構成する人員がそれぞれに役割を分担し、1つの集合体を形成しています。これは細胞の働きと良く似ているんです。

山田:
会社経営のヒントになると思うので、ぜひ詳しく聞かせていただきたいです。

稲葉:
生物の進化に伴ってシステムが複雑化する中で、細胞は専門分化していきました。五感にしても、食べ物を味わったり、色を感知したり、音を聞き分けたりするのは、それぞれ別の細胞です。では、なぜ人体が機能不全に陥らないかと言うと、細胞同士が協力し合っているからです。右手と左手がケンカしたらパソコンを打つこともままならないですよね。専門分化は調和の歴史でもあるんです。

山田:
細胞全てがお互いに協力し合っているわけですね。

稲葉:
この現象は人間だけに起こるものではありません。単細胞生物であるアメーバは普段バラバラに動いていますが、危機的な状況に陥ると、途端に細胞同士が協力し合いします。全体を指示する社長や監督のような細胞は存在しません。にもかかわらず、種としての絶滅を防ぐために細胞同士が自然に寄り集まり、1つの集合体となって生き延びようとするわけです。

山田:
指示系統がないのに同じ目的に向かって行動を起こすのは驚きです。

稲葉:
心理学者のアドラーが唱えていた共同体感覚も、言わんとしていることはティール組織の概念に近しいと思っています。今までの社会は、優劣や支配、勝敗などが基軸となる縦の関係でしたが、未来に必要なのは、自己受容や他者信頼、他者貢献などの横の関係です。医療とはアプローチこそ違いますが、心理学とは結局のところ「いのちとは何なのか」を知ることに尽きると思っています。だから私はいのちを中心に据えた社会へシフトしたいのです。

山田:
全体性を捉えることや調和することの重要性が、体と心を紐解く中で理解できた気がします。稲葉さんが取り組まれている医療と能のつながりも腑に落ちました。

稲葉:
死を迎えるための対応策として人類が生み出したという観点から見れば、芸術も医療も哲学も宗教も、根っこは全て同じなんです。花の咲き方が違うだけであって。生と死はどちらもベールに包まれていて、だからこそ人間のイマジネーションを掻き立てます。埋葬や祭事、医療なども全てはそこから生まれました。芸術もそうで、古代のお墓には絵が描かれていることが多いんですよ。

山田:
そして、生きる力と死ぬ力が折り重なっているのが、いのちであると。いのちを中心に据えるという稲葉さんの頭の中が少し垣間見えました。

稲葉:
過去と未来は、現代に生きている私たちが死者と生者の結び目をつなぐことで一続きになります。過去の死を受け取り、未来に生を受け継ぐことが私の掲げている生命主義です。芸術、医療、哲学、宗教などのあらゆる叡智を結集させて、いのちの探求をベースにした未来社会を形作っていきたいと思っています。

山田:
今日のお話を聞いて、私たちもそのプロセスに貢献したいと思いました。

稲葉:
ビジネスも文化を構築する1つの手段です。ファクトリエの服を着れば元気になるというのも心の全体性を取り戻すことにつながりますし、体にも良い影響を与えるかもしれません。私の行動原理は「目の前の困っている人を何とかしたい」なので、ジャンルは違えど、ファクトリエと通じるものはあると思っています。

山田:
そう言っていただけるのは本当に嬉しいです。今日は貴重なお話、ありがとうございました!