- 中川政七(株式会社 中川政七商店 代表取締役会長)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)
山田:
中川さん、本日はお忙しい中、お時間を頂戴しありがとうございます!
中川さん(以下敬称略):
中川政七商店という会社で、工芸をベースとした生活雑貨のお店を全国に約60店舗展開しています。
享保元年(1716年)に奈良で創業し、手績み手織りの麻織物を中心に、武士の裃(かみしも)などに使われて盛んだったのですが、武士がいなくなり、明治・大正と細々とやってきた中で、一つ需要があったのが茶道具でした。
山田:
もともと、茶道具をされていたんですね。
中川:
その後、今の生活雑貨事業の基礎となる遊 中川というお店が1985年オープン。2002年に僕が入社するのですが、当時の状況としては父親がやってた茶道具がしっかりと黒字を出し、母親がやってた麻の事業が赤字。最初は親父も多分、節税になればという感じでやっていたのですが、赤字が大きくなってこのままだとまずいぞ、というところで入社しました。
一つ転機になったのが粋更(きさら)という新しいブランドで、表参道ヒルズにお店を作りました。その後、直営店と工芸をベースにしたSPA事業が軌道に乗ってきて、それが世間にも少しずつ認知され、今に至ります。
山田:
現在は売上はどうなったんですか?
中川:
現在は遊 中川・中川政七商店・日本市という三つの業態のお店を展開してます。3店舗だったのが、今は約60店舗までなり、当時4億で赤字だったのが64億までになりました。
山田:
売上4億円が売上64億なられたんですか?!
中川:
店舗が増えて、着々とやってきたという感じです。急成長って言われるのですが、急成長したことは一度もなく、ずっと10〜15%アップを10数年、繰り返して今に至るっていうところですね。
山田:
何が一番のキーだったんでしょうか?
中川:
改めて振り返ると、「ヒット商品が出ました」とかそういうことでもなく、「ビジョンが定まったこと」が一番大きかったんじゃないかなと思います。2007年から「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げて、それを実現するために色々なことに取り組んできました。
山田:
具体的には?
中川:
では、「元気にする」って何だ?というと、「経済的自立」と「もの作りの誇りを取り戻す」です。そのためには、「流通・出口の拡大」が重要です。特に経営再生コンサルティングは、「10年で20社の産地の一番星をつくる」と言って、2009年から始めました。
一番最初のクライアント、長崎県波佐見町のマルヒロさんという会社の再生が最初の案件であり、かなりインパクトがあったんですね。ピーク時売上が2億だった会社が、僕が入ったときは8000万まで下がっており、借金が1億3000万ありました。本当にいつ倒産してもおかしくないような状況から、HASAMIというブランドを立ち上げ、今では売上が3億、営業利益が10%以上になっています。
山田:
企業再生には、何がポイントですか?
中川:
まずは決算書みるところから始めて、どうやったら会社が良くなるか?からやっていきます。それが結果に繋がっている要因じゃないかなと思います。コンサルとは言っているものの、経営者の家庭教師みたいな感じでやらせてもらっています。
これまで55社位の再生案件に取り組んできて、ほとんどの会社で決算書を良くする実績を残しています。生産も含めて立て直しながら、ブランド立ち上げて、それを流通させていきます。自社の展示会「大日本市」もそれを担っています。
山田:
各社の決算を良くするのはすごいですね。産地は盛り上がってきてるのですか?
中川:
いえ、産地の衰退が予想以上に早いという状況があり、このままではサプライチェーンが崩壊してしまうため、産業革命が必要だと感じています。具体的には製造背景の統合垂直統合と、産業観光。これに取り組まなきゃということで、ここ5年ぐらいは一生懸命やってます。2017年に日本工芸産地協会を作ってやっていたのですが、地元の奈良についてはやれていなかったので、3年前に社長を降りて、奈良と向き合うということをやってます。いわゆる都市のブランディングみたいなことですね。
- 工芸の現状
山田:
工芸の現状はどうなのでしょうか?
中川:
1983年の5400億がピークで、一番最近の数字だと900億なんで、6分の1ですね。僕がこの世界に入ったとき3分の1と聞いていたので、そこからさらに半分にはなってしまってます。
山田:
6分の1なのですね。
中川:
昭和49年、1974年に、伝統的工芸品指定という法律ができたんですね。
戦後の高度成長の中で工芸品が売れたので、おそらく偽物が出てきたんです。要は偽物排除のための法律だったのですが、「この作り方が正しい」というのが決まってしまったがゆえに、作り方を変えちゃいけない縛りができたのです。その結果、時代についていけず、ライフスタイルにも合わなくなってしまった。
山田:
昔の本を読むと、「伝統工芸」を元気にする!という表現だったのですが、いまは「工芸」。微妙なニュアンスの中に、心境の変化があったのですか?
中川:
最初は、「伝統工芸」と当然言ってたんですけど、よくよく考えると、自動車産業は100年以上続いているが、誰も「伝統自動車産業」とは言わない。
プリウスや電気自動車のような進化があるし、生活の中に溶け込んでるから、伝統とは言わないわけですよね。だから伝統にはもちろんポジティブないい意味もあるけど、ある意味ではもう終わってしまったものという、ともすると侮蔑的な意味合いも含まれてるなと思いました。
そのため、「日々の生活の中に工芸が完全に戻る」ことを目指すと、きっと「伝統工芸」とは言わないのだろうなと感じたのです。きっと「工芸」って言うのだろうなと思うので、そこを目指す会社としては伝統工芸と言わないようにしようと。
- 工芸の可能性と挑戦
山田:
先日のガイアの夜明けを拝見したのですが、「季節のしつらい便」欲しくなりました。ああいうことなんですよね?生活の中に溶け込む価値って。
中川:
そうなんですよね。いわれとか、そういう伝承とか、いろいろな物語を含みながら、工芸ってあったはずなので、「会話が生まれる」ところに繋がっていくと思うんです。
山田:
工芸のSPAとはどういうことなんでしょう?
中川:
2002年に稼業に戻ってるのですが、ユニクロのフリースが1999年にヒットしており、SPAという言葉が世の中に拡がった時代でした。SPAにして大量に作るため、原価が抑えられて、利益率が上がると。ですので、うちも「SPAにしたら原価率が下がるのではないか」と思っていたのですが、工芸の世界は全然違ったんです。
100個作ってるところに「1,000個作ってもらうので値下げしてください」と言いに行こうと思ったら、1,000個作るのが無理って断られるんですよね。そのため、「100個作ってくれるところを10件探す」という、逆にすごい難しいことをやらなきゃいけなくなってしまいました。(笑)
今、全国で60店舗で、うちのスタッフがものづくりの背景やメーカーさんの考え、思想、哲学を汲み取りながら、一生懸命伝えて、それで商品が買ってもらえているんだろうなと感じます。
山田:
中川政七商店は、自前主義のイメージが強いです。工芸の世界は、産地問屋や流通問屋がいたのに、自分たちでお店まで持つのは、かなりのチャレンジですよね。
中川:
そうですね。家業を継ぐ際、僕はど素人だったんです。でも、ど素人だからこそ勉強しなきゃと思って、ひたすら勉強するを繰り返してきました。当時は、問屋さんの売上が4割ぐらいあったと思いますが、どこの問屋さんも調子は良くなくて、下手したら連鎖倒産もある。僕は、「どっちみち倒産するなら、自分の責任で倒産したい」と思ったんですよ。それが割と原点ですかね。だから、「お客さんの前まで自分たちで行って、それで売れなかったら自分たちが悪いよね」と。自分の責任で倒産しようと思った。
- 「ビジョン」の大切さ
山田:
そんな、ど素人からはじめた家業がポーター賞や日本イノベーター大賞を受賞するようようになっていく。その鍵は何だったのでしょうか?
中川:
「会社の力=競争戦略×組織能力」と良く言われますが、「会社の力=ビジョン×競争戦略×組織能力」であると定義するほどビジョンが大事だと思ってます。
当初、赤字だった事業を必死に黒字化するために頑張って、1年か2年で黒字化できたんです。一方で、利益の追求のために、20年、30年とこの仕事やるのかと思ったら、ちょっと無理だなと思ったんです。2、3年考えた末に出てきたのが「日本の工芸を元気にする!」というビジョンだったんです。
ビジョンは掲げるだけでは、何もワークしません。まず社内に徹底的に浸透させなきゃいけませんし、経営レベルでも、「ビジョンを達成するために何をしなきゃいけないのか」というのがロジカルに展開されていかなきゃいけない。逆に言うと、ビジョン達成に繋がらない事業は基本やっちゃいけないと思うんです。そのようにビジョンをワークさせてきた結果、他に類を見ないビジネスモデルが出来あがり、こんな厳しい業界なのに会社は成長し、表彰いただけるようになったと思ってます。
山田:
地道にビジョンを伝え続けたんですね。
中川:
松岡正剛さんに「上品な商売やってるね」って言われたりするのですが、やっぱり適正価格があるじゃないですか。手でやってるから時間がかかるのは想像がつくし、メーカーさんたちの人件費を考えると、これで妥当な値段だなというのがあると思ってます。
仮に利益追求で考えた場合、パワーバランスで、もっと原価低減を強いることはできるのかもしれないけど、それをやると日本の工芸を元気にするには反する。ビジョンがあるがゆえにそこの歯止めにはなりますよね。
ですので、社内でも共有していますが、僕らは営業利益10%で万々歳だと思うんですよ。10%を超えたら、それはもう作ってくれてるメーカーさんに全部返すべきだなと思ってます。
山田:
社内向けにはどのようにビジョンを浸透させてるんですか?
中川:
2007年に、僕が「日本の工芸を元気にする!」って言ったときの社内の反応は、もう全員ポカーンとしてました。「何言ってんだろう、社長」みたいな。それでも、ひたすら言い続けて、HASAMIのマルヒロさんが復活したタイミングで、会社に呼んできて、何が行われたかみたいな話を社内で話してもらって、そこでやっと、「なるほど。元気にするってこういうことか」と。中川政七商店という仕組みの中でみんなが日々店頭でマグカップを売ってくれてるから、息子さんのお給料が7万円から15万になったんですよってことを言い続けました。
山田:
最初はぽかーん、だったんですね。(笑)
中川:
大阪城の石垣の話っていうのがあるんですが、秀吉が大阪城を作ってるときに、ある人工(にんく)さんのグループに「何してるんですか?」って聞いたら、「石を積んでる」と答える。隣のグループに「何してるんですか?」って聞いたら「日本一の城を作ってるんだ、これが日本の平和の象徴になるんだ」と答えた。その二つのグループの、その石垣の仕上がりはもう歴然と違っていたという話があります。だから、ビジョンってのは大切で、みんながやってるのは売上のためだけではないんだよというのを、ひたすら5年ぐらいかけて、やっとちょっと腹落ちしたかなっていうところにたどり着いたっていう感じですかね。
だから新店がオープンする時には必ず行って、全員スタッフ集めて、ご飯食べながらその話をし、年に一度の政七まつりという社員総会では、自分事にするためのワークショップをやったりしています。毎年企画メンバーが各部署から横断的に10名ぐらい選ばれて、「今のうちの会社に足りないものは何か」を考えてそれを意識してもらうためのワークショップを考えてます。
山田:
他にもビジョン浸透のためのイベントなどありますか?
中川:
浸透ももちろん大切ですが、どういう道のりで達成していくのかという価値観も大切です。そこで大切してるのは、「全体の掃除の日」があるんですけど、70人ぐらいで本社の掃除を分担してやるんです。そういう日の動きがものすごく大切で、1人さぼっても別に何ら支障はないんですよね。なんなら遅刻していなくても、別に出欠とってないからわかんないです。
ただ、何かそういう誰も見てない時にどういう働きをするか、どういうスタンスで仕事に向き合うか、こそが大切なので、そこをすごい見てますね。そういう仕事に対するスタンスみたいなところを揃えていくことで、ビジョンに向けての歩みも整っているような気がします。
山田:
ビジョンに期限は設けていますか、また達成基準を決めていますか?
中川:
産地出荷額の1割位はやらないといけないと思うので、700億位の数字のボリュームは持ってますね。ただそれを20年後達成するのか30年を達成するのかっていうのは明確には決めてないです。今約70億で、100億は見えてるのですが、その先はまだ見えていないので、新しい事業、新しいビジネスモデルや考え方を作っていかなければと思っています。
- 素人だからこそ、「学ぶ」
山田:
ビジョンに共感する社員の皆さんは、どんな方が多いんですか?
中川:
真面目ないい子が多いですし、みんなビジョンに共感して頑張ろうと思って入ってきてるから、おとなしい会社だとは思いますが、なんか内に秘めたものは熱い感じですね。
山田:
いい子を、ポテンシャル採用してるってことですね?
中川:
「今何点か、よりも明日何点伸びるか?」っていうことを大切だと言ってて、それを支えてるのはやっぱ学びなんです。先ほど、素人集団でやってきましたという話がありましたが、僕自身本当に何も業界的なことは勉強せずに今に至るので、何だって知らないことは勉強してできると思ってるから、学ぶ意欲、学びの企業文化みたいなところがなくなっちゃうと、もうそれは終わりで、ただの素人でしかない。
だから学びはすごく大切にしてますね。僕はほとんど怒らないのですが、月に一回、各々が読んだ本を持ち寄り学びを共有する場である読書会がなくなったときには頭にきて、「今のままでいいと思ってるの?どれだけ自分ができるつもりなんだ?」と。「そんな考えでは、”日本の工芸を元気にする”なんてできないから、もう看板を降ろそう。これは俺が決めることじゃないからみんなで決めてくれ!」って、怒ったことがあります。
山田:
学びこそが重要である、ということですね。とても勉強になりました。「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを決めたからこそ人が集い、会社が成長していったということですね。本日は濃いひとときを、ありがとうございました!
中川:
ありがとうございました。
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