- 行定勲(映画監督)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)
- 映画のない町に、映画祭を
山田:
くまもと復興映画祭2019、とても素敵なイベントでした。行定さんは、ご自身で監督された作品を上映するだけでなく、映画祭全体のディレクターも務めていらっしゃいます。きっかけは何だったんですか?
行定さん(以下敬称略):
話すと長いんですけど、もともとは熊本県の菊池市に菊池映画祭というイベントがありました。これがまぁ、立ち上げ当初はどうしようもない映画祭で。一度僕の特集を組んでくれたんだけど、監督としての自信を喪失するような内容だったんです。
山田:
そもそも菊池市に映画館ってありましたっけ?
行定:
ないんですよ。それなのに映画祭を開催するっていう無謀な試みでね。スタッフたちは映画というものをほとんど観て育っていません。日曜洋画劇場と金曜ロードショーしか観たことのない奴らです(笑)。そういう奴らが市の援助も受けずに自分たちで町を盛り上げようと色々考えて、その解決策として「映画祭を開催すればきっと人がたくさん来るはずだ」って思い込んだんですよ。
山田:
そこで熊本出身の行定さんに声がかかったわけですね。
行定:
客がいっぱい来るだろうという目算があったんでしょうね。セカチューを作った監督の映画を上映すれば大丈夫だろうと。でも、当時の日本映画界はめちゃくちゃだったんです。作品はほとんどヒットしないし、客も全然入らない。実際、僕の特集が組まれた映画祭にも800人収容の公会堂に120人くらいしか入りませんでした。今日のイベントの方がいっぱい人がいるように感じますね。
山田:
密度としては今日の方が高いかもしれません(笑)。
行定:
スタッフに説教したんですよ。おい、この映画祭のせいで自信を失くしちゃったじゃないかと。
山田:
でも、行定さんは以降も菊池映画祭と関わり続けています。スタッフの人たちとの間でどういうやり取りが行われたんですか?
行定:
菊池市という町は緑が美しくて、温泉も点在しています。温泉はものすごくぬるぬるで、肌にもすごくいい。飯もめちゃめちゃうまいんですよ。なのに、町には閑古鳥が鳴いている。それでスタッフに言いました。
お前らこんな宝を持ってんのに何やってんの、自分の町が好きだ好きだって言ってる割に全くアピールできてない、俺が映画祭を監修したら今日の何十倍、いや何百倍の客を呼べるよ、って。思わず口を突いた言葉だったんだけど、彼らは真剣な眼差しで「ぜひお願いします」と。
山田:
後戻りできなくなったわけですね。
行定:
それからは「本当にやってくれるんですよね?」みたいなプレッシャーがあって、次回の映画祭はいちから全部準備させられました。でも、映画人にとって映画祭を開催できるのは、ものすごくありがたいことで。自分の好きな映画を集めて、客に喜んでもらうっていうのはもう最高です。まぁ、僕以外の監督が撮った映画で喜んでる姿を見るのは、ちょっと複雑なんだけど(笑)。
山田:
自分の映画ではなくて、人の映画を褒めてもらってるわけですからね。
行定:
ただ、これも映画人としてのひとつのあり方だなと思いました。次の年もディレクターを務めたんですけど、これが大成功でした。ほら見たことか、とスタッフに言ったのを覚えています。あまりに感動して、「来年は菊池を舞台に映画を撮る、オープニングは俺の作品だ」なんてことを泣きながら言ったんですよ。どうして泣いてんのか分からなかったけど。
- 映画が記憶を呼び起こす
山田:
それで製作されたのが、くまもと復興映画祭2019でも上映され、今回のイベントでも皆さんにご覧になってもらった『うつくしいひと』ですか?
行定:
そうです。それまでは何の援助も受けていない映画祭だったんですけど、僕の発言をたまたま隅っこで聞いていた県の方が「一緒にやりませんか」って言ってくれたんですね。ただ、お金は出す代わりに、熊本県全体をアピールする映画を作ってほしいという条件を付けられて。これに引っ掛かりました。その条件が出るまで、僕は好き勝手にとんでもない映画を作るつもりだったんです。スケベな映画にしようかなとか。
山田:
間違いなくNGが出ますね(笑)。
行定:
県が絡んでくるときって、ちょっと格調高いものが求められてるんだろうなって想像するんですよ、プロとしては。そこで最初に打ち合わせをしたときに、こんなストーリーを提案しました。
東京でそば打ちの名人だった男が、そばづくりに行き詰まってしまった。美味しさの秘訣を探すためにさすらっていたら、熊本にたどり着いた。水が綺麗な町でそばを打ってみたら、不思議なことに美味い。この名水は何て素晴らしいんだ。っていうストーリーはどうですかって言ったら、県の人たちから「さすが天才」って言われて(笑)。
山田:
良く言えば王道ですが、それは行定さんが作りたい映画ではないですよね。
行定:
会議室で怒って、俺はあんたたちが嫌いだと言いました。熊本と言えば熊本城、熊本と言えば阿蘇山。すぐその2つにすがるから、熊本の深さや広がりを表現できないんだ。俺はそういうものは全く映さない、そば打ち名人も出さない、水が綺麗だという台詞もない。日常の中から滲み出てくる熊本情緒を撮らせてくれるならやる、なんてことを言ったんですね。とは言ったものの、さっき皆さんに観てもらった僕の作品には、ご覧の通り熊本城も阿蘇山も出てくるという(笑)。
山田:
結局はその2つに行き着くと(笑)。
行定:
その2つを改めて見ると、阿蘇山は幻想的で説得力があって、熊本城にも圧倒的な存在感があります。よくよく振り返ると、熊本城は僕の原点なんです。黒澤明の『影武者』の一部は熊本城で撮影されたんですけど、僕はその場にいたんですよ。小学5年生の時です。黒澤明とは会っていませんが、大所帯のスタッフを見て、映画ってすげえなと思いました。
山田:
その原体験が行定さんの将来を決定付けたのですか?
行定:
そうです。完成した映画のエンドロールを数えたら200人くらいいて、「これだけいれば俺も入れそうだな」と思い、映画の道に進みました。映画監督になれたのは、あの時のスタッフのおかげです。だから、熊本を舞台にした僕の映画に熊本城が出てくるのは必然なんですね。
山田:
『うつくしいひと』で描かれている風景には、行定さんの文脈があるのですね。今の話を踏まえて『うつくしいひと』をもう一度観てみたいと思いました。
行定:
何とか撮影は成功し、いざ公開っていう時に地震が起きました。『うつくしいひと』は他県の人たちに向けて作ったので、本来であれば、熊本の人たちが地元の良さを再発見するところまでは届かなかったと思います。でも、あの地震が起こってしまった。映画に出てくる風景の7割は地震で崩壊し、現存していません。結果として、『うつくしいひと』をご覧になった多くは熊本の人たちで、僕に対して感謝の言葉を伝えてくれるんですね。
山田:
地震前の風景を作品に残してもらったことは私にとってもありがたいことでした。特に地震直後の熊本城は跡形もなかったですから。
行定:
人は風景に記憶を刻みながら生きていて、リアルな風景がないと記憶は戻りません。実際の世界には崩壊前のリアルな風景はないけど、映画の中にはある。それを観ることで脳が刺激され、記憶が引き出されます。『うつくしいひと』は、熊本での僕の記憶を辿っていくというコンセプトだったので、熊本の人たちに広く影響を与える力があるみたいです。熊本の人たちは、僕のことを『うつくしいひと』と『うつくしいひと サバ?』の人だと認識してるんですよ。
山田:
セカチューやGOの人ではないんですね。
行定:
うん。熊本に帰って鶴屋百貨店に行くと、買い物してるおばちゃんたちに「サインください」ってよく言われます(笑)。
- 映画を通して2016年を後世に残す
山田:
『うつくしいひと サバ?』は熊本地震の後に製作された自主映画です。この映画を作った経緯を教えてください。
行定:
僕が発案しました。ああいう状態になっている熊本を設定に映画を撮ろう、そして次の映画祭で流そうと急に思い立ったんです。なぜかと言うと、瓦礫と化してしまった町はいずれ更地になっちゃうから。そしてその更地はいつしか風景に馴染んでいきます。
山田:
元々こういう風景だったと認識が変わっていくわけですね。
行定:
とは言え、家が倒壊してる状態での撮影はすごくハードルが高いんです。危険だし、そもそも反対の人もいるだろうし。でも、熊本の人たちの心情や風景を後世に残すためには、崩壊している状況でこそカメラを回すべきだと思いました。僕は本震の時に熊本にいたので、なおさらそう感じたのかもしれません。実は『いっちょんすかん』という地震当日を描いた作品があって、『うつくしいひと』と『うつくしいひと サバ?』と合わせて三部作になります。
山田:
『いっちょんすかん』はこれから公開されるのですか?
行定:
撮影は去年に終えていて、公開はこれからです。地震前後と地震当日の話を紡いで、映画祭と絡めながら打ち出していこうかなと。以前、松山ケンイチ君に言われたんですよ。東日本大震災の時に『うつくしいひと』のような映画が作られなかったことをすごく悔しく思うと。東北出身の監督はいっぱいいるのに、なんですぐ撮らなかったんだって。彼は青森出身なので、東日本大震災がないがしろにされてるというか、置き去りにされていく感覚があると言っていました。
山田:
行定さんはなぜ熊本を撮ろうと思われたのでしょう?
行定:
天命ですかね。映画の神様に「お前が撮りなさい」と言われてるような気がしました。仕組まれているような感覚もあるんですよ。映画監督になって20年以上経ってるんですけど、これまでは一切熊本を撮らなかったのに、直近で3作も撮ってますから。
山田:
今まではどうして撮らなかったんですか?
行定:
自分が生まれ育った場所だからこそ、よっぽどじゃないと撮りたくないと思っていました。きっかけは高良健吾君で、彼は熊本で一緒に映画撮りましょうよとずっと僕に言ってて、じゃあやろうかということで撮ったのが『うつくしいひと』です。その流れで『サバ?』を撮った時にはもう完全に巻き込まれていました。
山田:
もともと行定さんは熊本への愛郷心をお持ちでしたか?
行定:
故郷愛がすごく強いかと言われたら、強くないと思っていました。でも、人は必要とされることで心境に変化が生まれます。菊池映画祭を手がけた時にスタッフから「ありがとう」を言われて、次からは「この人たちのために」って思うようになりました。
山田:
「この人たちのために」を言い換えると、「熊本のために」とも捉えられますね。
行定:
『サバ?』と『いっちょんすかん』は、未来の熊本を想像して撮ってるんですよ。これから生まれてくる人たちは、地震のことを知らずに育つことになります。物心がついてから作品を観た時に、2016年に大変なことが起こったけど、踏ん張って乗り越えた人たちがいるから今があるんだなって感じてもらえたらいいなって。
山田:
『サバ?』の最後で、ダンスのシーンがありますよね。あの踊りがすごく印象的だったのですが、どういった意味を込められたのでしょう?
行定:
悲しいという言葉では括れない感情を表現し、傷ついた町を鎮魂させるためには、音楽よりも踊りだなと思いました。踊りの中でも、枠に捉われずに自由な表現ができるコンテンポラリーダンスがこの作品には必要だったと思います。
山田:
阿蘇神社のシーンもありますが、今はもう立ち入り禁止ですよね。
行定:
撮影を行ったのは修復が入る前のタイミングで、すでに立ち入り禁止のテープが張られていたんですよ。でも、修復前の風景を残したかったので、入らせてほしいと頼んだところ、撮らせてもらうことができました。それによって修復が少し遅れるわけですから、復興とは逆の行動にも見えるんですけど、修復前の風景を映画として記録することを、阿蘇神社の方たちはものすごく喜んでくれましたね。
- 復興という言葉は絶対に残さないといけない
行定:
復興って何なんだろうと考えている時、衝撃を受けた言葉があります。震災からしばらく経った後、ファッションデザイナーの高田賢三さんと熊本を旅しました。熊本城に行った時に係の人が石垣を修復していて、「20年かけて完璧に戻しますよ」と誇らしげに言った時、賢三さんがポツリと言ったんですよ。戻さなきゃいいのにって。
山田:
残しておいた方がいいということですか?
行定:
賢三さんはこう言うんです。もちろん、危険な箇所は戻したほうがいい。だけど、それ以外の箇所はなぜ戻す必要があるのか。戦争などの人為的な理由で壊れたわけじゃない。石垣は自然の流れで崩れたのだから、部分的に残すべきだと思う。残っていると、数年後に熊本城を訪れた人たちが、石垣が崩れていることに疑問を持ち、答えを求める。そうすると、歴史をさかのぼって2016年に戻る。つまり、崩れている箇所はひとつの起点になるんだって。この言葉はものすごくヒントになりました。
山田:
確かに、熊本の象徴である熊本城の傷跡を敢えて残すのは意味のあることかもしれません。
行定:
地震の後、市庁が壊れた熊本城をライトアップしたんですね。僕はその時に立ち会ったんですけど、光が当たることで壊れたところが見えにくくなるんです。昼間に見るとかわいそうなくらいにボロボロなんですけど、夜にライトアップすると、まるでよみがえったように見える。ライトアップするまではみんなずっと下を向いていたんですけど、ライトアップして上を向いた瞬間、みんなが涙を流していました。『うつくしいひと サバ?』にはそういう瞬間が全部詰まっています。
山田:
被害が甚大だった地域にも足を運ばれていますよね。現地の方たちは撮影に関して好意的でしたか?
行定:
快く協力してくれました。「この町を忘れないでくれてありがとう」と言ってくれた人もいます。でも、スタッフの一人がご飯屋さんでたまたま現地の人たちと出くわして、「何とか力になれたら」って言った時、「お前たちに何が分かる」って突然言われたことがあって。仲良くなったからこそ、本音をぶつけてくれたんだと思うんですけど。
山田:
リアルな本音だと思います。テレビ番組だと「大丈夫です」「皆さん協力してくれてありがとうございます」といったコメントしか報道されませんが。
行定:
かっこつけますからね、熊本のおっさんたちは。だけど本音としては大丈夫じゃない。だって、何十年間も我が家で生活してきたのに、最期は仮設住宅の中で迎える可能性があるわけですから。「この絶望がお前たちに分かるか、分からんだろうって」という言葉はテレビのドキュメンタリー番組では聞いたことないですね。
山田:
今はメディアで扱われること自体が少なくなりましたが、歯を食いしばって生きている人たちは今もたくさんいます。
行定:
東日本大地震と数字で比較すると、熊本地震はどうしても被害規模が小さく見えます。震災から3年経って仮設住宅に入った人たちの約半分が退去し、来年はまたその半分の人たちが退去される予定です。でも、残りの人たちはもう新しい家を望んでいません。震災前に家を建てた人たちは最悪で、半壊だと手当がほぼ出ない。壁がないままでは住めないから、新しい家を建てざるを得ないけど、ローンはさらにかさみます。そうすると割のいい仕事をしなきゃいけないし、やりたかったことを諦めるざるを得ない。そういう人たちがいっぱいいる中で、「力になりたい」っていう言葉を軽々しく言ったところで、届くはずがないんですよね。
山田:
「復興とは何か」という問いに対して、行定さんの中で答えは出たのでしょうか?
行定:
今言えるのは、復興に終わりはないということです。以前、くまもと復興映画祭というネーミングに対して、「復興という言葉を使うのを止めてほしい」と言われたことがあります。地震のことを思い出したくないんですよ、とその人が軽口を叩いた時、怒りを感じました。思い出すも何も、今もなお苦しんでいる人たちはこれからどうやって生きていくんだよ、と。思い出したくない心情も分かるけど、復興という言葉は絶対残さないといけないとその時に思いました。数年後に「何で復興なの?」と思われてもいいんです。復興という言葉があることで2016年に戻れる。僕たちが一生懸命になって修復してる跡を見せつけてやろうって今は思っています。
- ドラマチックじゃなくても充分に面白い
山田:
行定さんの作品を観ていると、ナチュラルであることの強さや美しさをすごく感じます。作為的ではなく、人間の機微を丁寧に描かれているというか。
行定:
ドラマチックなものに興味がないんです。映画には演出が必要ですが、何を撮るかを決めることが言わば演出なんですよ。そこに過度な演出を加えたら、クサくなってしまう。何でもない普通の物語にできればそれでいいと私は思っています。
山田:
ある一日の話でいいわけですね。
行定:
うん。朝起きて会社に行こうとしたら電車に乗り遅れて、ふと反対方向の電車に乗ってみた。そしたら普段なら絶対出会わなかった人たちと出会い、会社にはお腹が痛いんでと嘘をついて休んでしまう。やってることは反対方向の電車に乗ってるだけなのに、この時点でもうドラマチックなわけです。映画って、日常からちょっと逸脱した行為を描くだけで面白くなるんですよ。
山田:
本筋とは関係のないシーンがなぜか印象に残っていることも多いのですが、これは映画という形態だからこその特徴なのでしょうか?
行定:
映画は飯を食ってるだけのシーンでも強い印象を与えることができます。ホウ・シャオシェン監督の『風櫃の少年』という作品の中に、映画館で働いている主人公が幕裏の端っこで飯を食ってるシーンがあるんだけど、それだけで想像が膨らむんですよ。映画がスクリーンに流れてる裏で飯を食ってるだけなのに、そこから彼らの日常や青春像が見えてくる。
山田:
映画の最後に明確な結論を敢えて出さないことも、何でもない普通の物語を描きたいという考え方に基づいているのですか?
行定:
流れのままでどこかで終わればいいと思っています。物語の筋としてはちょっとドラマチックで、続きが気になる状況は与えるんだけど、終わり方としては「そして人生は続く」っていうね。僕は非現実的な映画に全く興味を抱かないんです。
- 人間にあって、AIにないもの
山田:
映画は常に評価が付きまといますが、他者から評価されることについてはどのように思われていますか?
行定:
他者の評価は等しく正しいと思っています。僕と感想が違ったとしても、それは僕の評価と違うだけであって。ただ、「完成度が高いね」という言葉は嫌いです。これは一番気をつけなきゃいけない言葉で、完成度が高い映画はAIでも作れます。僕は最近、仮想敵としてAIを持ち出すんですよ。そのうち「小津安二郎」や「黒澤明」というソフトが開発されて、ソフトに要素を入れると、彼らの特徴を捉えたシナリオがぽこんと生まれる。「岩井俊二」のソフトも出てくるでしょうね。
山田:
「行定勲」も出てきそうですね(笑)。
行定:
カット割りまで全部書いてあって、その通りに撮影すると、確かに岩井俊二っぽくはなってる。そんな時代がたぶん来るんですけど、僕はそういうんじゃない映画を作りたいと思っています。AIだとおそらく、家に帰ってきて靴下を脱ぐシーンはいらないと判断するんじゃないかな。靴下をはいたまま寝ちゃって、朝方にだんだん暑くなって靴下を足で脱ぐみたいなシーンは大体編集で切られますから。でも、僕はこういうものばかりを残した映画にグッと来ます。
山田:
行定さんの中で特に印象に残っているシーンはありますか?
行定:
山田洋次監督が作った『息子』のワンシーンですね。和久井映見さんが言葉を喋れないろうあ者の役で、煮物を入れたタッパーを持って永瀬正敏くんの家にやってくるシーンがあって。牛丼しか食べない彼に「栄養のあるものを食べなきゃだめよ」というメッセージをジェスチャーで伝えるんだけど、その時にタッパーを入れてきたビニール袋をくるくるって回して結ぶんですね。若い女性なのに、所帯じみたように手際が良い。このシーンをたぶん山田洋次さんは台本に書いてないんですよ。でも、奥さんが普段やってるとか、お惣菜屋で見かけたとか、この光景をどこかで見たことがあって、撮影の際に演出したんだと思う。
山田:
さりげない所作が作品の味になっているわけですね。
行定:
本人に聞いてみたら、忘れちゃったなあっておっしゃってましたけど(笑)。でも、あのシーンには絶対必要だったんですよ、ビニール袋をくるくるって回して結ぶ間が。こういう演出はAIには絶対に無理です。だから僕たちは人工知能にできないことをやっていかないといけません。これからはAIが作る映画がいっぱい出てきますから。
山田:
ネットフリックスやプライムビデオの中にはAIベースで作れている作品がすでに現れていますもんね。
行定:
コミックのような原作がある作品なら、AIでもそれなりに台本を作れると思います。でも、人間の頭脳はそう簡単にトレースできるものではありません。AIに映画を全て作らせてみて、その後にダメ出ししてみてもいいかもしれない。だからAIはダメなんだよってね。
山田:
どこをどうダメ出しされるのか興味あります。
行定:
ただ、プロデュサーはAIを支持する可能性もあります。AとBとCがあって、Aが全てAIの作品、BがAIと人間を交ぜた作品、Cが全て人間の作品だったら、おそらくCが落とされると思う。なぜなら、人間の作品にはどこか理解できない部分があるから。でも、人間は理解できないものを作ってるわけだから、その部分があって当然なんですね。
山田:
すでに分かり切っている安心材料だけで作品を作ろうとすると、確かにAIが有利かもしれません。
行定:
これからのものづくりにおいては、人間らしい感性を磨くことが重要になります。だって人間がAIと同じことしか考えなくなったら、人間がやるべきことはなくなっちゃうわけじゃないですか。情緒を感じるのは人間特有の資質だと思っています。
山田:
情緒って不思議ですよね。国によっても違いますし。
行定:
外国で映画を撮るとすごい俳優に出会うことがあって、韓国にソル・ギョングという人がいます。彼と一緒に映画を作ることになって、韓国まで撮りに行くことになりました。脚本は日本人のシナリオライターと僕が書いたんだけど、若い俳優たちはその内容に意見を出し始めたんですよ。韓国人にはこんな情緒はないとか、こんな口調では喋らないとか。
山田:
リアリティに欠けると感じたわけですね。
行定:
そう。で、僕の演出と違うことをやり始めた時、ソル・ギョングが突然怒り出しました。お前たち来い!って。脚本から変えたら韓国人の監督に撮ってもらう時と変わらない。日本人の監督が日本の情緒を提示してくれてるんだから、それを受け止めた上で、韓国人が見てもリアリティを感じられるような芝居をやるんだよ。変えちゃダメだ。日本人の監督と一緒にやる面白さはそこにあるんだよって。
山田:
熱い言葉です。若い俳優たちのスタンスは変わりましたか?
行定:
そこからはもう何も言いません。全部鵜呑みですよ。まずは僕の言う通りに動いてくれて、どうやってリアリティを持たせるのかは自分たちで考えていました。彼らはスキルが高いので、様々な魅せ方を知っています。ただ、日本人の情緒からすると魅せ過ぎなんですよ。自分の感情をあらわにしちゃうというか。それは1つの長所かもしれないけど、韓国人なりに感情を抑えられるやり方があると思うという僕の意見をちゃんと受け止めてもらいました。
山田:
国を超えて映画を撮ることの醍醐味ですね。
行定:
そういう化学反応が起こると、人間のやることってやっぱり面白いなと再確認できます。情緒をミックスさせた作品は人間にしか作れない。いや、人間にしか感じられないと言った方が正しいかもしれません。
山田:
今日のお話を踏まえて映画を観ると、一つひとつの作品をより楽しめるような気がします。長時間にわたって色々なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。来年の映画祭も楽しみにしています!
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