- 西高辻󠄀信宏(太宰府天満宮 宮司)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)

山田:
西高辻󠄀さん、本日はお忙しい中、お話を聞く機会をいただきありがとうございます。よろしくお願い致します。
さて、太宰府天満宮には一年間にどのくらいの参拝客がいらっしゃるのですか?

西高辻󠄀さん(以下敬称略):
コロナ前だと年間約1000万人の方にお参りいただいています。そのうち2割から3割くらいは海外の方ですね。

山田:
そんなにいらっしゃるんですね。海外からの観光客の方々が太宰府天満宮に来る目的は、何なのでしょう?

西高辻󠄀:
「歴史や自然を感じられるから」かもしれません。季節の花々で彩られていますし、樹齢が1500年を超えるクスノキがあります。また、今までは福岡空港から直行バスがなかったのですが、それができたことも大きいと思います。

山田:
なるほど。太宰府天満宮は、歴史や自然が素晴らしいですが、最近はアートにも力を入れていらっしゃいますよね?

西高辻󠄀:
はい、そうですね。もともと神社とお寺は、文化が生まれる場所だったと思っています。歴史的に見ても、神社やお寺には、さまざまな人が集って、交流し、文化が生まれてきた。それが今でも残っている部分は、たくさんあります。特に芸能では、能や歌舞伎もそうですし、中世でいうと、禅宗のお寺では、襖絵が発達しました。さまざまな場面で、芸能、芸術と深い縁があったと思います。

御祭神である菅原道真公は文化芸術の神様としても崇められており、長い歴史の中で天満宮には、芸術作品が奉納されることもよくあったようです。特に大きな変革期であった明治期は、太宰府博覧会をはじめ重要な活動が行われたという風に思っています。

山田:
神社やお寺にあった芸術作品は、秘蔵ですか?それとも一般公開されていたのでしょう?

西高辻󠄀:
当時、神社やお寺の宝物は限られた方だけに公開されていましたが、時代が大きく変化する中で、神社が持っていたものを公開しよう、知識をシェアしてそこからまた新たなものを生み出していこう、という流れができました。

山田:
秘蔵されていたものが、一般の方にも公開されていくわけですね。その後はどうなるのですか?

西高辻󠄀:
世界的には、万国博覧会が19世紀末から非常に盛り上がっていました。
日本でも万博を行おう、ということで、日本初の博覧会が明治4年に開催されたのです。そして明治6、7、8年には私の高祖父が街の方々と共同で企画した博覧会を太宰府天満宮で開催しました。この時、地域の財産として残していくために、博物館を作ろうという運動が起きました。それが、現在の九州国立博物館に繋がります。

山田:
太宰府天満宮のすぐ隣に、立派な九州国立博物館がありますよね。

西高辻󠄀:
太宰府天満宮の宮司として4代、およそ120年かけてできたのが、平成17年に開館した九州国立博物館です。私の祖父の代の昭和46年に、境内の1/3にあたる5万坪を建設用地として福岡県に無償寄付しました。

山田:
無償で!?太っ腹ですね。アートに話を戻すと、どのような活動をしているのでしょう?

西高辻󠄀:
現代で何ができるか?ということを考え、「太宰府天満宮アートプログラム」を15年前に立ち上げて取り組んでいます。アーティストを招聘して太宰府の歴史や神道をテーマに、作品を制作してもらっています。
例えば、ライアン・ガンダー(Ryan Gander)さんというイギリス人のアーティストには幼稚園児と共同で作品を作ってもらいました。

本当にきらきらするけれど何の意味もないもの
Ryan Gander, 2011
Courtesy of TARO NASU
Photo by Yasushi Ichikawa

ライアン・ガンダーさんは、リサーチの中で日本人は目に見えないものを大切にしていると感じ、「目に見えないもの」をテーマに作品制作を行いました。その中には、目に見えない磁力をテーマにした作品もあります。磁力は目に見えないけれど、さまざまな金属片が集まることによって、形を成しています。日本語のタイトルは、「本当にキラキラするけれど何の意味もないもの」です。

また、今日着ているTシャツは、ローレンス・ウィナーというアメリカを代表するコンセプチュアル・アーティストの作品がプリントされていて、ファクトリエさんとのコラボレーションで完成したものです。この作品は太宰府天満宮の歴史から、彼が考えてくれた「ひとつの中心のその中心」という日本語のテキストになります。こちらは、遊園地や博物館へ行く途中の地面に描かれています。ちょっとこれは上空からドローンで撮っていますけれども…3箇所にこんな風なかたちで。

THE CENTER OF A CENTER/ひとつの中心のその中心
Lawrence Weiner, 2021
Courtesy of TARO NASU

山田:
これは、普通に歩いていたら見逃しますよ。(笑)

西高辻󠄀:
今は、境内のアートマップも作っていて。さまざまな常設の作品を巡ることができますし、境内美術館というサイトも立ち上げていますし、深く、作品について知っていただけると思います。

山田:
じっくり眺めているだけで一日中、天満宮を楽しめますね。

西高辻󠄀:
これまではお参りしてすぐに帰られる方が多かったのですが、できるだけ境内全体に足を運んでもらうような仕掛けをしたいと考えています。境内の奥まったところに作品があることによって、観た方からは「作品をきっかけに天満宮のいろんな景色を感じられた」という、お声も頂いています。
これが100年、200年経って、新たな太宰府天満宮の宝物となり、未来の方に見ていただけるかなぁと思って取り組みを行っています。

山田:
100年単位というのが素晴らしいですね。天満宮と街づくりについてはどうでしょうか?

西高辻󠄀:
神社と共にある街。それを大きなテーマとして掲げ、先代も、先々代も、街づくりを考えてきたと思っています。
例えば、祖父は戦後すぐに約1000台収容可能な駐車場をあえて神社から少し離れた場所に作りました。必ず参道を通ってお参りしてもらうことで、街の中で消費が起こるよう考えてあります。そうしたことで街も潤い、商店主から神社も支えてもらう、という好循環を作ったのです。
また、今の太宰府インターを誘致した時に、関わったのも祖父です。今、九州でも屈指の交通量を誇るインターですが、どうにかして「太宰府」という名前をつけてもらえるよう運動をしたそうです。今につながるインフラを考えた街づくりを、神社が率先してやってきた、証明でもあるかと思います。

山田:
参道には、隈研吾さんが設計されたスターバックスもありますよね。最近、太宰府天満宮の近くには古民家のホテルができたそうですね。

西高辻󠄀:
太宰府でも古い住宅をどうするか?と、持ち主の方が非常に悩まれるケースがあります。それを解決したい、ということで、築100年以上の古民家を改修して、「HOTEL CULTIA」というの作っていただきました。立ち寄るだけの観光地から、滞在する街や場所へ。そうすることで、朝や夜の時間帯も味わっていただけると思います。さまざまな方々のご協力を得ながら、街を変化させていきたいと考えています。

山田:
他にも素敵な場所はありますでしょうか?

西高辻󠄀:
宝満宮竈門神社という神社があります。
大宰府の役所が7世紀にできた際、北東の鬼門の場所に当たる宝満山で神様をお祀りしたのが始まりで、1350年以上の歴史があります。

山田:
1350年の歴史ですか。すごいですね。

西高辻󠄀:
9年ほど前、祭祀が始まって1350年という節目を迎えるにあたって、大規模な改修を行いました。その時は、インテリアデザイナーの片山正通さんにお札お守り授与所のデザインをお願いしました。
標高200メートルの場所で寒いため、屋内型のガラス貼りの授与所を作っていただき、かまどの周りに人が集う、というイメージで円形の曲線を多用してあります。
また縁結びの神様でもあるので、外にはプロダクトデザイナーのジャスパー・モリソンさんがデザインした、二人で座るためのベンチもあります。ここからは太宰府の街が一望できますし、桜や紅葉など自然がとても豊かな場所です。

山田:
昨年はメディアでも話題になっていましたよね?

西高辻󠄀:
はい。『鬼滅の刃』の効果で、主人公の「竈門炭治郎」の「竈門」と一緒の名前でしたので、親子連れの方々にたくさんお参りをいただきました。

山田:
自然の豊かな縁結びの神社から、鬼滅の刃の神社という側面も加わったのですね。

西高辻󠄀:
特に、子供さんが多く来られました。絵馬も時間をかけて描いていただき、作品のような素晴らしい絵馬の数々が奉納されていました。

山田:
子供たちはどんな願いを込めて絵馬を書いているのですか?

西高辻󠄀:
コロナ撲滅、コロナ滅殺など、書かれていたそうです。(笑)

山田:
怖っ(笑)車で10分ほどの場所ですので、またぜひ伺いたいと思います。

山田:
さて、100年後のスタンダードを作るとはどこから発想が生まれるのでしょうか?

西高辻󠄀:
神社の建物は、一度作ると100年位変わらないのです。じゃあどうするか?というと、100年先から立ち返って考えていく、というのが引き継いでいく者の責任かなと思っています。

山田:
「菅原道真公の伝統」と考えると、内向きになり、守りになるのでは、と想像します。これはやらないほうがいいんじゃないか?など。過去の伝統と向き合いつつ、チャレンジするのは難しい面もありますか?

西高辻󠄀:
そうですね。でも、昔の最先端だったことが100年経つともう伝統になってるという意味では、今残っているものは、当時最先端だったと思うんですよ。そう考えれば、いつも神社は最先端なものを取り入れていたはずです。だからこそ現代にも、もっといろんなことができるのではないかと、可能性を信じて日々進んでいます。

山田:
その当時も最先端をやっていたはず。だから今もチャレンジする、ということですね。

西高辻󠄀:
チャレンジしないと、下降線をたどってしまうと思います。過去から学び、チャレンジし続けることによって、未来が拓けるのではないか、と考えています。

山田:
太宰府天満宮も、竈門神社も、SNSがとても上手に感じています。

西高辻󠄀:
竈門神社については、個人がSNSで発信できる時代に変わってきた中で、「人に伝えたくなる神社作り」を考え、さまざまな取り組みを行ってきました。

山田:
インスタなど、時流に乗るところは乗るけれど、やるかやらないかは、未来から逆算して決めるということですか?

西高辻󠄀:
そうですね。神道では「中今(なかいま)」というのですけれども。過去があって、未来があって、その間に自分たちがいる、という考えがあります。過去だけでも未来だけでもなくて、過去と未来の両方の間の「今」を考えるようにしていますね。

山田:
隈研吾さんや片山正通さん、ニコライバーグマンさんなど、一流の方々が太宰府天満宮に関わっていらっしゃいますが、口説き文句はあるのでしょうか?

西高辻󠄀:
口説き文句は、無いです。(笑)ただ、体感してもらう、ことは意識しています。最近も、山田さんにある方を紹介していただいたんですが、皆さんに、まずは足を運んでもらって、一緒に話していくと、理解が深まり、お互いを知ることができる。そこから考えてもらうということが大事だと思っていますね。ですので、時間を一緒に過ごし、関係性を育んでいくことをとても大切にしています。一過性ではなく育んでいく中で、何かしらご一緒することがあったらいいな、と思っています。

山田:
太宰府天満宮幼稚園での和菓子の活動もそうですか?

西高辻󠄀:
はい。境内には、戦後すぐにできた太宰府天満宮幼稚園があります。 和菓子の文化はさまざまな日本の行事や季節と結びついていて、なんとかその文化を残していきたいと思っています。そこで福岡の和菓子店の鈴懸(すずかけ)さんと共同で、年長組を対象に和菓子学習を行っています。

山田:
幼稚園児で文化を体感できるのはいいですね。

西高辻󠄀:
例えば、5月の節句の時は柏餅やちまきを食べたり、紫陽花の季節には紫陽花のかたちのお菓子を食べたりと、季節感を大切にしています。せっかく自然が豊かな場所に園がありますので、目に見える自然の移ろいをお菓子の中に感じ、楽しむことができる感性を育てたいと思っています。

山田:
子供たち、夢中で食べていますね。(笑)

西高辻󠄀:
これまで誕生会の時にはケーキを出していたのですが、小麦、卵や牛乳にアレルギーがあり、みんなと同じものが食べられない子供もいました。そこで、代わりに鈴懸さんにお願いして、季節の和菓子を出すようにしたのです。この体験は子供たちの五感を刺激して、記憶に残っていくのです。またその体験を家庭で話す中で、家族の方にも良さが伝わり、和菓子の文化が自然と生活に根付いていくと思っています。

次は、和菓子学習から派生して、日本茶学習を年中組を対象に始めました。日本茶は生活に根付いた文化だと思いますが、今では、ペットボトルのお茶を飲む家庭が多いのです。田舎のほうでも、急須がある家は、半分を切っているそうです。その中で、なんとかお茶の文化を残したいと思い、JA八女さんと福岡のお茶専門店の万(よろず)経営者である德淵(とくぶち)さんの協力を仰いで、お茶の理解を深めています。実際に温度を変えながらお茶を入れ、一煎目、二煎目目と味わっていく、ということを体験しています。急須は、JA八女さんから特別にプレゼントを受け、家庭に配っているのですよ。そこで会話が生まれて、親も学んでというような。そういう循環を、家の中でも作っていきたいと思って、こういう取り組みをやっています。入れ終わったお茶は、最後に酢醤油をかけて食べるなど、全てを味わい尽くす。
和菓子学習はもう8年近くやっていて、夢は和菓子職人、という園児もいます。

山田:
西高辻󠄀さんの宝物は何ですか?

西高辻󠄀:
宝物ですか?

山田:
アート作品にも精通していますし、日本の工芸のことも詳しそう。そんな西高辻󠄀さんの宝物、は気になります。(笑)

西高辻󠄀:
そうですね。幼少期の思い出をすごく大事にしています。かつて宝満山の山頂では、遣唐使が海を渡る前に航海の安全を祈る国家祭祀が行われていたんですが、その祭祀が終わったら、使った土器(かわらけ)などを山頂から下に投げていたんです。その土器を中学生くらいの時に宝満山に詳しい方と一緒に登った際、拾ったことがあって。
「今、自分は1300年以上も前に、誰かが祈りを捧げたもの手にしている」と思ったことを鮮明に覚えています。その思い出は、記憶とも時間ともつながるので、とても大事にしているんですよ。これから私は、太宰府天満宮の宮司として、宝満山の歴史研究を、考古学的に進めていこうと思っています。原点になるものの一つとして、土器(かわらけ)を大事にしていますね。

山田:
それは今もあるのですか?

西高辻󠄀:
はい、大切にとっています。

山田:
1300年以上前の想いを今も大切にされているのが素敵です。
本日はお忙しい中、素晴らしいお話をありがとうございました!