- 外舘和子(多摩美術大学教授、工芸史家・工芸評論家)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)

「工芸とは何か?」 その問いに、私たちはどれほど正確に答えられるでしょうか。今回対談したのは、多摩美術大学教授であり、日本の工芸史家・工芸評論の第一人者である外舘和子先生。

2023年に上梓された『現代陶芸論』をはじめ、数多くの著作や国内外の展覧会監修を通じて、工芸の価値を世界に発信し続けている外舘先生。先生が語る「人間国宝」の本質、そしてデジタル時代における「手仕事」の必然性とは。

ものづくりの深淵を覗く、濃密な対話の記録です。

「工芸作家」は、アイデアと技術の両方を持つ人 story01

山田:
外舘先生、本日はよろしくお願いいたします。先生は多摩美術大学で教鞭を執られながら、国内外で工芸の展覧会監修や執筆、講演、審査員など多岐にわたって活動されています。先生が日々の活動の中で、最も喜びを感じるのはどのような瞬間でしょうか。

外舘さん(以下敬称略):
喜びは二つあります。一つは、新聞や雑誌の連載、著書、講義や講演に対し、読者や受講者から反響をいただくこと。そしてもう一つは、私が書いた文章を読んだり、講評を聴いた作り手(作家)本人が、次の作品制作への意欲に繋げてくださることです。作家は孤独の中で素材と向き合っています。授業や講演でもそうですが、第三者の視点でその価値を言語化し、彼らの制作の意義や重要性を考察し、多くの人に分かり易く伝えることが、作り手の背中を押す力になると信じています。

山田:
先生の視点が、作り手と受け手の架け橋になっているのですね。そもそも、私たちは「工芸」という言葉をよく耳にしますが、先生にとっての工芸の定義とは何でしょうか。

外舘:
私は授業で学生たちにこう伝えています。「工芸とは、素材を理解し、アイデアと技術の両方を持っている人が、それを結びつけて形にする表現である」と。

例えば陶芸なら、土という素材を理解し、釉薬や焼成の技術も体得した上で、自分ならではの美意識や世界観を形にする。デザインだけをする「デザイナー」とも、指示通りに作る「職人」とも違う。自分の頭で考えたことを、自らの「身体性」を持って素材に刻み込む。その「頭脳と手わざが直結している状態」こそが、工芸作家の本質なのです。

人間国宝は「卓越した職人」ではない story02

山田:
今回のお話で一番驚いたのが、「人間国宝」についてです。私たちはつい、人間国宝を「技術を極めた最高峰の職人」だと思いがちですが、実はそうではないとお聞きしました。

外舘:
そうなんです。人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定される条件として、文化庁は「歴史性」とともに「芸術性」を強く求めています。

単に昔のものを再現できる、復元できるという「スーパーマスター」であるだけでは足りません。卓越した技術を駆使して、これまでにない「新しいもの」を生み出せるクリエイティビティがあって初めて、人間国宝としての価値が認められるのです。

山田:
伝統を守るだけでなく、常に「攻め」の姿勢で新しい表現に挑み続けている人たちなのですね。

外舘:
はい、彼らは極めてクリエイティブな表現者です。日本人は特定の「物」だけでなく、その物を生み出す「技」そのものを文化財として捉えました。これは世界的に見ても非常に画期的な概念で、英語では『Living National Treasure(生きている国の宝)』と訳されます。形なき技が、高度に磨かれ、新しい美として結実する。そのプロセスそのものを尊ぶのが、日本の美意識なのです。

デジタル時代だからこそ、人間は「質感」を渇望する story03

山田:
今はAIやNFTなど、デジタルやバーチャルが加速している時代です。そんな中で、あえて手間暇のかかるアナログな「工芸」が、世界でこれほど求められているのはなぜでしょうか。

外舘:
むしろ、デジタル化が進めば進むほど、私の元には海外からの仕事の依頼が増えています。これは非常に興味深い現象です。

人間は、二次元の画像だけでは満足できない生き物なのだと思います。実物の重み、手触り、光の反射による色の変化……。個々に独自の性質を持つ素材と人間が格闘して生まれた質感や存在感には、デジタルでは伝えられない、人間の精神性に訴える「繊細なリアリティ」があります。

山田:
効率や正解を求める社会だからこそ、非効率な手仕事の中に宿る「人間らしさ」に、本能が惹かれているのかもしれませんね。

外舘:
まさにそうです。作品と対面した時の印象、同じ空間で共有する空気感。それは「人に会う」のと同じような感覚です。工芸品を手に取り、あるいは着物をまとう。その身体的な体験は、人間の根源的な欲求なのだと思います。

「ほんもの」は、見えない裏側に宿る

山田:
私たちはファクトリエで「ほんものづくり」という言葉を大切にしていますが、外舘先生にとって「ほんもの」を感じる作品とは、どのようなものでしょうか。

外舘:
精神誠意、素材と向き合っているかどうか。素材の良さを最大限に引き出し、そこに自分のクリエイティビティを確かな技術と「三味一体」で合致させている作品です。

そして、私が審査などで作品を見る時に必ずすること。それは、蓋物の作品なら、蓋を開けて内側も見る、また、作品の裏側や底も見ます。

山田:
裏側、ですか。

外舘:
はい。日本の優れた工芸家は、見えない部分にも神経を使います。器を置いた時にテーブルを傷つけないよう滑らかに仕上げているか。箱の蓋を開けた時、箱の内側に、ハッとするような、外側とも関連する美しい装飾が施されているか。

「見えない部分だから」と手を抜くのではなく、見えない場所にまで美学を貫き通す。その「抜かりのなさ」こそが、受け手への誠実さであり、作品に圧倒的な説得力を与えるのです。

山田:
表層のデザインだけではなく、その奥にある「筋の通った必然性」。それが「ほんもの」の正体なのですね。

工芸を「野球の大谷選手」のように語る日常を

山田:
外舘先生が思い描く、日本の工芸の理想的な未来について最後にお聞かせください。

外舘:
私は、工芸がもっと日常の会話に登場する世の中になってほしいと思っています。例えば、野球の大谷選手がホームランを打ったことを家族で話すように、「今年のあの展覧会の、あの作家の作品は凄かったね」という会話が食卓で交わされる。そのくらい身近で、かつ憧れの対象であってほしいのです。

山田:
敷居が高いものではなく、誰もがその価値を認め、応援したくなる存在。

外舘:
日本の作家たちは皆さん謙虚ですが、彼らの技術と創造性は例えるなら「ダ・ヴィンチ」レベルと言ってもいい。そんな「宝石」のような才能が、日本中、そして世界中で正当に評価され、次世代へと繋がっていく。その一助となる言葉を、これからも紡ぎ続けていきたいですね。

山田:
本日は貴重なお話をありがとうございました!

(参考)
多摩美術大学教授、工芸史家・工芸評論家、日本伝統文化検定協会副会長。 Kosho Ito Virus (英Tate St. Ives, 2002)、WAZA(独フランクフルト工芸美術館、2011)、Touch Fire(米スミスカレッジ美術館、2009)Clay as Soft Power(米ミシガン大学美術館、2022)など、海外での展覧会図録執筆・講演多数。 主な著書に『Fired Earth, Woven Bamboo: Contemporary Japanese Ceramics and Bamboo Art』(MFA,Boston,2013)『日本近現代陶芸史』(阿部出版、2016)『現代陶芸論』(阿部出版、2023)『中村勝馬と東京友禅の系譜』(染織と生活社、2007)など。第10回国際陶磁器展美濃、韓国・世界陶磁ビエンナーレ2017(及び2019)、金沢・世界工芸トリエンナーレ2019、韓国・清洲工芸ビエンナーレ2021、日展、日本伝統工芸展、新匠工芸会展、三井ゴールデン匠賞、和文化グランプリ、漆の美展など数多くの審査員を務める。