今回は、ファクトリエを長く愛用していただいているフェンシング・オリンピック金メダリストの見延和靖選手も同席し、山下先生のお話を伺いました。

偉大な師たちの人柄に惚れて。人間性を磨くことが「真の創作」を生む story02

山田:
山下先生は1951年香川県高松市生まれ。蒟醤の人間国宝である磯井正美先生、そして蒔絵の人間国宝である田口善国先生という、作風も人間性も全く異なる二人の偉大な師に師事されました。先生独自の作風は、このお二人からどのような影響を受けて確立されたのでしょうか?

山下さん(以下敬称略):
まずね、私はお二人の作品に惚れたのはもちろんですが、一番には人間性に惚れたんですよ。作品というのはその人の「人なり」から生まれてくるものなんです。美術の技術だけではなく、人間性から滲み出るものこそが作品なんですね。

山田:
インタビューでも「人間性が育たないと良い作品は生まれない」とおっしゃっていましたね。

山下:
そう、人間性が育たないと発想が生まれない。私たちの仕事は様々なものを見て感じ、心の中で咀嚼しながらデザインを発想すること。だから技術は二番目で、まずは人間性という引き出しを増やすことが何より大切なんです。いろいろな経験をして人の話を聞くことで、人間性は豊かになっていきますから。

「伝統」とは古いものへの固執ではない。時代ごとに進化を積み重ねる営み story03

山田:
先生は金刀比羅宮の格天井の蒔絵(桜樹木地蒔絵)など、復元監修という壮大な仕事も手がけられていますね。

山下:
金刀比羅宮の天井画復元は、平成11年から5年ほどかけて完成させた非常に思い出深い仕事です。拝殿の天井には市松状に138枚もの板が敷き詰められていて、138枚の桜の絵柄がすべて微妙に異なるという圧巻の意匠になっています。高さが4メートルほどあるため、普段は真下からじっくり見ることは難しいのですが、はしごに登って間近で見ると、明治の職人たちがどれほど膨大な手間暇をかけたかがよく分かります。数年前に国重要文化財にも指定されましたが、昔の銀箔を現代では変色しにくいプラチナ箔に置き換えるなど、後世に残すための工夫を凝らしました。

story04

山田:
参拝者が拝殿へと続く長い廊下を進み、本殿へ近づきながら身を清めて対面する。まさに精神性と技術が一体となった壮大な空間芸術ですね。

山下:
そうですね。ただ、私たちがやっている伝統工芸というのは、決して「昔のものをそのまま模倣・固執すること」ではないんです。

香川の蒟醤も江戸後期の玉楮象谷から始まり、明治、大正、昭和、平成、令和と、各時代の作り手がその時代に精一杯の新しい試みを積み重ねてきたからこそ、今も脈々と生き続けています。「伝統」とは、過去の技術を足場にしながら、その時代に生きる人間が目一杯新しいものを作ることなんです。私たちがスマートフォンを使い、車に乗り、現代の空気感の中で生きている日常の積み重ねから、自然と湧き出る発想を素直に表現する。それこそが私にとっての伝統であり、創造です。

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山田:
先生は後進の指導にも力を入れていらっしゃいますが、若い生徒の方々に教える際、最も大切にされていることは何ですか?

山下:
私はね、実はあまり教えないんです(笑)。

本人の発想を第一に優先して、「ここをこうするともっと良くなるよ」と少し助言する程度。未熟でもいいから、自分が考えたことを形にさせることが一番大切です。実は蒟醤の基本技術なんて1年ほど反復練習すれば身につきます。だから技術そのものは重要視していません。基本をベースに、本人の発想でどう進化させていくかが重要なのです。

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山田:
個性の芽を伸ばし、時代に合わせて進化させていくのですね。

引き算の美学 -- 見る人も参加できる「未完成の完成」 story06

山田:
先生の作品哲学の中で、非常に興味深いのが「未完成の完成」という言葉です。これにはどのような意図が込められているのでしょうか?

山下:
これは私の実体験から生まれた言葉です。日本伝統工芸展などで過去に賞をいただいた作品は、実は自分の中で「不満だな」と提出をためらったものばかりだったんです(笑)。

山田:
えっ、ご自身で納得がいっていなかった作品がでしょうか?

山下:
そうなんです。そこで気づいたのは、「完璧にやり切ってしまってはダメだ」ということ。作者がこれでもかと画面を埋め尽くしてしまうと、見る人の想像力が働く余白がなくなってしまう。あえて引き算をして空白を作ることで、「見る人や使う人も作品の物語に参加できる余地」が生まれるんです。これこそが日本人の持つ独自の美学であり、本当の美しさなのだと実感しました。

偉大な師が教えてくれた「非まじめ」という人生の生き方 story07

見延:
先生の師匠である磯井先生が教えてくださったという「非まじめ」という考え方について、詳しく教えていただけますか?

山下:
「非まじめ」というのは、真面目でも不真面目でもない、物事を俯瞰して見る姿勢のことです。例えるなら、大勢の人々が「東」という目的地に向かって道を歩いているとしますよね。みんながゾロゾロ歩いている中で、ふっと一人だけ脇道に入り、路地裏でいろんなものを見て面白がり、また元の列に戻ってみんなにその話をしてあげる。これができるのが「非まじめ」な人なんです。

見延:
目的地までただ一直線に歩くだけではないのですね。

山下:
そう。世の中は真面目な人が大半だからこそ社会が回っていますが、芸術やものづくりに携わる人間は、少し斜めからの視点や意表を突く視点を持たなければ面白いものは作れません。作品を作る時、あえて途中で作業をやめて余白を残す決断をするのも、この「非まじめ」の精神があるからこそできることですね。

異業種・海外ブランドとの挑戦「用途(用)」と「美しさ(美)」の哲学 story08

山田:
先生はFRANCK MULLER(フランク・ミュラー)やSergio Rossi(セルジオ・ロッシ)など、世界のラグジュアリーブランドとのコラボレーションにも挑戦されていますね。

山下:
ええ。世の中は様々な人々の集合体で成り立っていますから、そこに漆芸家として参加できるのは光栄なことです。例えば時計やジュエリーのように、相手のデザイナーが苦心して完成させた製品そのものに手を加えるのは失礼にあたる。だから「それを収めるための美しい器(ケース)を作りましょう」と提案するなど、互いのプライドを尊重しながら新しい表現を模索してきました。

山田:
工芸の世界における「ものづくり」の真理とはどこにあるとお考えですか?

山下:
工芸には「用」と「美」があります。私はこの二つを中途半端に混ぜるのではなく、「使うための道具(用)」と「鑑賞するための芸術(美)」を明確に分けて考えるべきだと思っています。

使う道具であれば手触りや感触、口当たりなどの実用性を極限まで追求する。一方で美を追求する美術品であれば、先ほど言った「未完成の美」を表現する。この切り替えができる人こそが、ほんもののものづくりに繋がっていくのだと思います。

日本人が受け継いできた「ほんもの」の漆文化を食卓へ story07

山下:
みなさんは普段、ご飯をどんな器で食べていますか?

山田:
一般的な陶器のお茶碗で食べていますね。

山下:
ぜひね、ご飯も「漆器の飯椀」で食べてみてほしいんです。もともと日本の食器はすべて漆器でした。お茶碗(陶器)はお茶を冷ますためのもので、熱いお茶を入れるから「石偏」がついている。ご飯を入れる「飯椀」は「木偏」でしょう?

見延:
本当だ、漢字の通りですね!

山下:
漆器は保温性に優れていて、温かいご飯を入れても水蒸気でベタつくことがありません。さらに、口を直接つけて食べる日本の食文化において、漆の滑らかな肌触りは圧倒的です。中性洗剤で洗っても平気ですし、塩酸や硫酸にも耐えるほど漆は強い素材なんですよ。

山田:
漆器はとても繊細でお手入れが難しいイメージがありましたが、実は非常に丈夫で日常使いに適しているのですね。

山下:
日本では1万年以上前の縄文時代から漆が使われてきました。時代ごとの人々が大切に守り、進化させてきたからこそ今の漆文化があります。若い弟子たちがこのバトンを受け継ぎ、次の世代へ繋いでいってくれることを願っています。

山田:
これからはご飯を漆器で食べたいと思います。本日はありがとうございました!

見延:
ありがとうございました!

山下先生の作品

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蒟醤蒔絵盆「落椿」(撮影:高橋章)

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蒟醤箱「屋島と五剣山」(撮影:高橋章)

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蒟醤丸箱「炎」(第60回日本伝統工芸展)

story12
おぼろ月蒟醤合子(第72回日本伝統工芸展)