FACTORY
弊社は1934年(昭和9年)、古くから綿の産地であった和歌山にはじまり80年になります。当時は吊り編み機やソックスの編み機を使った、綿主体のニット生地やアイテムを製造しておりました。
代替わりをきっかけに、東レや旭化成など当時からアクリル紡績の開発に力を入れていた企業と協力し、素材開発、製品開発を開始し、綿からアクリルへと製品の素材をシフトチェンジ。周りの工場からは「なぜアクリルなんかを使用するのか」と言われていましたが、他社が使用していないからこそ差別化になると考え、まだ珍しかったアクリルを主軸としたことは先代たちの大きなチャレンジだったと思います。
最盛期は、生産する生地全体の40%はアクリルが占めており、「アクリルといえば丸和ニット」と呼ばれるほどでした。工場内の機械も全てアクリル製品を扱う仕様に自社で改造しました。糸は新開発をしても比較的に研究分析がしやすいですが、そこにオリジナルで改造した編み機が合わさることで絶対にまねすることのできないテキスタイルが生まれるのです。現在の最新機器は改造ができないように精密に作りこまれています。そのため、昔ながらの機械に改良を加えながら代々と受け継いできたことも弊社の強味だと言えますね。
バブルの崩壊後、3つあった工場を1つに縮小し、社員を1拠点に集中させた体制となりました。その後、2000年に入り海外生産の波が訪れたことで国内のアクリル生産も低価格競争に巻き込まれ、ほぼすべての生産が国外へと移行しました。合繊の紡績工場が急激に数を減らし、それに関わる染めや加工、縫製の工場も影響を受け、製品の40%がアクリルだった弊社も大きな打撃を受けることとなりました。
弊社は代々「他にまねの出来ないもの作り」をとても大切にしてきました。繊維産業に逆風が吹く中、そんな想いで生み出したのが「バランサーキュラー」という編み機です。
ヨーロッパ製の今まで見たことのないような編み機が、2台だけ中古で売りに出されているのを発見し、早速購入をしました。買ったはいいものの説明書がついているわけでもないので操作方法すらわからない。上糸と下糸をスムーズに送り出すよう調整するだけでも5年かかりました。ベテランの職人や得意先の技術者の方などにも相談に乗ってもらい、数え切れないくらいの調整を繰り返し、10年の歳月をかけようやく完成したこの生地は現在弊社の主軸の1つとなっています。
今の課題は素材のこだわりを直接的にお客様に伝えることができないということです。製品としてセレクトショップに売り込みをしたり、実際にその製品の良さをお客様へ伝える方法は何度も考えてきましたがなかなか叶えることができませんでした。
現在はファクトリエという、工場の想いを直接伝えてくれるパートナーに出会うこともできましたし、製品の良さをより伝えやすくなりお客様に認知してもらいやすくなりました。将来的には、丸和ニットを素材や製品として卸すだけでなく、“丸和ブランド”として成長させていきたいと日々考えています。
原糸、編機、後加工の開発を三位一体で行い、常に新鮮な素材と衣料・資材を問わずタイムリーに提案するニット工場。
編み機種を豊富に揃え、ほとんどの丸編生地種生産に対応可能。ニットを構成する1本の糸のように「ニット」だけに取り組み業界のスペシャリストを目指す。
和歌山県和歌山市和田1164番地