FACTORY
当社が工場をかまえているのは、大阪の観光名所『通天閣』からほど近い場所。難波や心斎橋といった商業地、そして今宮戎神社などの歴史建造物に囲まれた浪速区 で、私たちは婦人靴を作っています。浪速区周辺は古くから皮革産業の町として発展してきました。材料屋や加工場が近辺に集まっていることから靴づくりの環境としても恵まれており、戦時中の特需景気で栄えた名残を今もしのぶことができます。ただ、かつて100社以上あった靴工場は数十社に減少。この状況を打破すべく、今後はチーム大阪で若い世代から盛り上げていかなければと強く感じています。
当社の創業は1954年。もともと縫製職人だった代表の祖父が立ち上げ、当時は上田製靴という小さな規模の工場でした。そこから規模が少しずつ大きくなり、社名もインターナショナルシューズに変わりましたが、先代から受け継がれている「もっといい靴を作ろう」というスローガンが揺らぐことはありません。言葉自体はシンプルですが、当社にとっては長き歳月で育まれてきたDNAのようなものです。
婦人靴の製造過程で最も鍵を握るのは、パーツの裁断です。ミリ単位で各所を細かく裁ち、小さなパーツを丁寧に縫い合わせていくことが、靴になったときの美しさとして結実します。素材選びにも抜かりはなく、踵には革の芯材を使用。底付けする前夜から水に浸して柔らかい状態にし、翌日、半乾きの柔らかいうちに踵部分に組み込んでいます。手間も時間もかかりますが、これによってシルエットの美しさが左右されると言っても過言ではありません。
コミュニケーションの活性化を図るために行っているのが、朝礼時に実施している 1分間のスピーチ。その都度テーマを変えながら個々の考えを披露してもらっています。そこから意外な一面が垣間見えることは少なくなく、誰かに話しかけるときのきっかけにもなっています。創意工夫や業務改善のアイデアは、活発な意見交換の中から生まれるもの。一人ひとりがものづくりに熱くなりながらも、会社全体として一枚岩になっていくことが、より良い靴を生み出すことにつながっていくと考えています。
私たちの理想は、一緒に働く仲間に「自分の子どもを入社させたい」と思ってもらえるような会社にすることです。技術や伝統が親から子へ受け継がれていくという昔ながらのものづくりの系譜を、現代に取り戻したいと思っています。これまでは「いいもの」を作ることに注力してきましたが、これからはそこに「ストーリー」も絡めていきたい。浪速区の土着性、そして創業以来受け継がれてきたスローガンは、私たちだからこそ持ち得るものです。その文脈の延長線上で世界に羽ばたいていくのも、もう1つの夢。「メイドインジャパンを世界へ」という理念を掲げるファクトリエとタッグを組めるのは、夢に向かっていく上で大きな追い風になるはずです。
1954年、難波や心斎橋といった商業地、そして今宮戎神社などの歴史建造物に囲まれた浪速区に創業。先代から受け継がれている「もっといい靴を作ろう」というスローガンに手間と時間を惜しまず高品質なメイドインジャパンを世に送り出し続けている。
大阪府大阪市浪速区 大国1-11- 20